「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

ルワンダの大量虐殺とフランス国家の責任 検証委員会の結論とは?

La France et le génocide des Tutsis: des «responsabilités lourdes et accablantes»

「フランスとツチ族の大量虐殺:『重く極めて大きな責任』」(Mediapart)

 

 調査報道を得意とするネット媒体のMediapartのほか、様々な新聞・雑誌などが今、報じているのが、1994年にルワンダで起きたツチ族に対する虐殺にフランス国家の責任はあるのか、という検証委員会による検証です。以下は、Mediapartの記事を大きなソースにしています。

 この検証委員会は歴史学者のヴァンサン・デュクレール(Vincent Duclert)が率いています。冷戦終結後、新しい世界秩序へと世界が動き始めた頃で、この事件にも影響を与えていました。この検証委員会は1225ページに及ぶ報告書をまとめ、1990年から1994年までその事件の前段から検証しています。

 フランスの検証委員会は共謀という形でのフランス国家の法的責任はないとしました。しかし、その一方で、倫理的な意味合いにおける責任は極めて重いと言い切ってます。27年前に起きた事件を国家がこのように検証して、厳しい言葉を突き付ける姿勢を見て、フランスを見直しました。この検証はマクロン大統領の今後の外交にも何がしかの影響を与えるものと思われます。というのは過去にもマクロン大統領は1950年代から1960年代初頭の独立を求めるアルジェリアとの戦いを「あれは戦争だった」と認めた結果、その際に行われた拷問や虐待をフランス国会による戦争犯罪であると認めることにもつながったからです。このことは2018年に来日した歴史学者のアンリ・ルッソ(Henry Russo)から聞きました。私はジャーナリストとしてマクロンには批判的なのですが、こうした歴史に対する毅然とした姿勢は評価できると思います。

  今回、検証委員会がルワンダの虐殺事件におけるフランス国家の責任を認めた背景を知るには当時、フランスの大統領だった社会党ミッテランを思い出す必要があります。ミッテランはフランス国家の現地における影響力を維持するために、隣国ウガンダとつながりの深いツチ族の勢力FPRルワンダから排除しなくてはならないと考えていたらしいことがうかがえます。というのは、この勢力の背後には米国が、つまりアングロサクソンが控えていると見ていたようです。アフリカは19世紀から20世紀にかけて、欧米列強に植民地化されていきましたが、1898年のファショダ事件のような英仏間の勢力争いが起きています。その約100年後にも未だにそのような輪郭をとどめているのは極めて悲しいことと言わざるを得ません。ミッテラン大統領たちはアングロサクソン勢力に後押しされたと見るツチ族の勢力を排除するために、多数派のフツ族の政権の振る舞いを一定期間、黙認してきたということのようです。ルワンダで殺されたツチ族は80万から100万人と試算されており、途方もない恐怖と暴力の世界でした。

  ミッテラン大統領と言えば1981年の選挙で左派連合を作って社会党政権を誕生させた歴史的政治家で、非常に尊敬されている存在ですが、私の知るアルジェリア人の芸術家に言わせると「社会主義者などではない」ということになります。というのも1950年代のアルジェリアの独立闘争の際に、ミッテランはフランスの司法大臣としてアルジェリア人ら独立闘士の40人以上の死刑執行にサインをしているからです。植民地だった国々の人々よりもフランス国家の意志を優先する姿勢が露骨に見えます。

  この検証委員会を率いた歴史学者のヴァンサン・デュクレールですが、調べてみると、反ユダヤ主義の象徴的事件であるドレフュス事件に詳しく、著書もありました。ルワンダの大虐殺もレイシズムが根底にある事件ですから、その意味ではまさにストライクゾーンに入る歴史学者と言って過言ではないのでしょう。マクロン大統領は5月にもルワンダを訪れるそうですので、今後、この検証がどう関係するかが見どころです。

 

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ヴァンサン・デュクレール著「ドレフュス事件