2015年に彩流社から出版された南祐三著「ナチス・ドイツとフランス右翼」を興味深く読んでいます。本書は第二次大戦当時のフランスにおける極右思想の潮流およびナチスドイツとの関係性を当時の右翼週刊紙「Je suis partout(JSP)」の紙面や編集体制を通して検証したものです。これは1930年に創刊され、1944年に廃刊となった右翼あるいは極右の週刊新聞です。
フランスのナショナリズムが、台頭してきた隣国のナチス・ドイツとどう協力関係を結ぶのか。自国の全体主義と「対独協力」をどう思想的にマッチさせるのか、など本書を読むと、メディアを軸として、社会が右傾化する現代史と重なって見えてきます。著者の南祐三氏は1979年生まれとありますから、目下30代半ば。これからが期待される研究者です。特にメディアと右翼あるいは極右との関係性に関心を持っていることがうかがえます。このことは日本における近年の政治・社会状況と通底するところでしょう。
南氏も触れていますが、アメリカの歴史学者ロバート・パクストンの掘り起こしが起点となって戦後フランスのレジスタンス神話に疑問が挟まれ、実際には対独協力が主体的に行われてきた経緯が明らかになってきています。フランス人は戦後、①自分たちはナチスに占領されていやいやながらユダヤ人の排斥という<嫌なこと>もやらされた、という被害者的な視点と②英雄的な対独レジスタンスの2本の柱を「記憶」の中で大切にしていたのですが、そこにフランス人が忘れたがっていたリアルな歴史をつきつけたのがパクストンでした。
その中で JSPは、本書によると、1940年に侵攻してきたナチスへの敗北を招いたフランス弱体化の真の原因は1789年のフランス革命および自由・平等・博愛の精神を掲げたその「共和国精神」にあると結論します。とくに1870年以後の第三共和政と民主的な議会政治を諸悪の根源と見た彼らは共和国精神および民主政治の破壊とユダヤ人の排斥が急務だと考えるようになりました。そこで彼ら自身がユダヤ人排斥法案を考えています。そして、かつてのブルボン王朝やナポレオン一世が試みたような君主政治の復古を求めていきます。
今のフランスを理解するためには、歴史を見つめることが欠かせません。メディアがどういうファシズムの触媒作用を担ってきたかも検証が必要です。こうした軌跡の中にアルジェリアの独立戦争も位置づけられ、国民連合(旧・国民戦線)の思想的歩みも初めて見えてくるはずです。国民連合党首のマリーヌ・ルペンが今日、何を話したか、ということだけでなく、彼らの運動の発足からの軌跡を今一度、見つめる作業が来年に向けて必要です。
たとえばマリーヌ・ルペンの父、ジャン=マリ・ルペンはアルジェリア独立阻止の兵士としてアルジェリアで戦った経験を持ちます。一方、社会党の大統領だったミッテランも若い頃は右翼であり、戦時中は対独協力のヴィシー政府で官僚をしており、さらに法務大臣としてはアルジェリアの独立闘士を40人以上死刑にしています。左翼政党の党首でありながらも、右翼と言ってもよいナショナリズムや植民地主義の精神も強く持ち合わせた政治家でした。そして、反ユダヤ主義と反イスラムあるいは反イスラム急進主義(原理主義)がどのように交錯するのかも検証が必要です。たとえばジャン=マリ・ルペンはホロコーストは第二次大戦の中のささいなエピソードに過ぎないと語って、大きな批判を浴びました。一方、二代目党首で娘のマリーヌ・ルペンは政権奪取に向けてソフトな政党のイメージを醸すべく、反ユダヤ主義も反イスラム的言辞もせず、目下、イスラム急進主義・原理主義に絞って批判の矢を放っています。しかし、本当に父と娘の間の思想的な流れは変化があるのか、それとも有権者向けのリップサービスなのか。そのあたりの見極めも必要です。さらに言えば、政治家には自己欺瞞の能力もあり、時々に応じて言動を変えることも理解しておく必要があります。その時、思考の足がかりを与えてくれるものが歴史です。
「ナチス・ドイツとフランス右翼」はフランス人の過去を検証するには役に立つ注目の一冊です。このテーマで過去に書かれたものでよく知られたものは福田和也氏の「奇妙な廃墟」で、「コラボ」(対独協力者)やフランスの極右・ファシズムに積極的にコミットした人々についてつづった本でした。「奇妙な廃墟」はリュシアン・ルバテやシャルル・モーラス、ロベール・ブラジャックなど、ファシズムの側に参加した作家たちの人生と思想、芸術観を「ナチス・ドイツとフランス右翼」よりは登場人物ごとにきめ細やかにつづっており、フランス文学を単にヒューマニズムの側からだけでは語りつくせないことを実証するものでした。一方、「ナチス・ドイツとフランス右翼」はむしろ、こうした作家たちの背後にあった時代の構造を精緻に描いています。南氏のフランス留学時代の指導教官が戦後のフランスの健忘症を研究してきた歴史学者のアンリ・ルッソであることも本書の手固い地盤を形作る要因だったと思われます。