私は本業がTVのドキュメンタリーや報道番組のディレクターで、職業柄本をたくさん読んできました。番組企画を立てるにあたって、狭い専門的な知識よりも幅広い知識があった方がいろんなテーマで企画書を書きやすいということがあって、駆け出しのころは新書を300冊くらい買い込んで、仕事の合間に読んでいたものです。政治、経済、哲学、文学ほか、常に50冊くらい読みかけの本がありました。平均すると30歳から40歳くらいまでの間は1日1冊は少なくとも読破していました。でもそんなに潤沢に時間があったわけではなく、TVの業務の合間に読むわけですからかなりスピードアップする必要がありました。
そのためにどういう読み方をしていたかと言うと、頭から順に読んだりはしませんでした。読みたいところから順々に読んでいました。で、読んだ箇所には鉛筆でマーキングしていました。要点に線を引くのではなく、このあたりはすでに読んだ、という備忘録替わりですので、読み終わるとかなり本は黒くなってしまいました。余談ですが、私から本を借りた人は「どうしてここに線が?!」と驚いていたものですが、重要度は関係なく線を引いているのです。次に読むときに、黒いところではなく、白いページを見つけて読むためなのです。50冊も同時に仕事の合間の30分とか1時間に読んでいるわけですから、既読の個所をマーキングしておかないといけないのです。
本というものは頭から最後まで1ページも残さず読まないといけないと思っている人が多いかもしれませんが、そんなことをする必要はさらさらありません。というのは、本当にその本でないと読めない価値のあるページは平均すると全体の20%くらいです。300ページの本だとすると60ページくらいです。これはざっくりとした印象ですが。あとの80%は他の本と中身がかぶっているものです。中にはオリジナルなものが絶無の本もありますし、10%の本もあります。これは金貨の中の金の含有率と同じです。要するに金が大切なわけです。ですから、その真に価値のある金だけを逃さず読む技術が大切なのです。もっともこれは本から情報を得るための読書法であり、ここでは文学作品は対象外です。
「急がば回れ」という言葉があります。この20%の金を逃さず読むためには、まさに急がば回れで、経済、政治、哲学、社会科学などの基礎的な書籍を最初にしっかり頭に入れておくことが必要です。(それがないと、今読んでいるものが金なのか、銀なのか、石ころなのかも判断できません)つまり、たとえればベースとなるソフトを最初に装填しておくと、あとは時々で少しずつ最新版をアップデートするだけでよいのです。これら基本書は大学の一般教養課程で学ぶくらいのものでよいのではないかと思います。できればそれぞれを日本語と英語で同時に読んでおくと英文を読むのに役立ちます。なぜ大学で本を読むことが大切か、という理由がここにあります。大学時代は本来、時間があるのでじっくり本を頭に入れておくにはよい時期なのです。これができている人は卒業後、いくらでも早く読めるようになります。ですから、私は大学生たちがアルバイトに追われて本を読む金も時間もない、という境遇に追いやられている今の日本の政治・社会・教育システムに反対です。
この読書法は残念ながら、古書店に本を持って行っても線引きなので引き取ってもらえません。