「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

まかり間違って大富裕層になってしまったら?

 私が映画の学校で学んでいた頃、週二回、学校で映画を見る講義がありました。洋画を淀川長治氏が、邦画を佐藤忠男氏が担当していました。二人とも著名な映画評論家です。ですから、大きな階段状の講義室で映画を見て、そのあと解説を聞くわけです。淀川氏とはいったい誰か?かつて昭和の時代はTVの民放で毎週、決まった曜日に映画劇場があり、淀川氏は日曜洋画劇場を担当していました。映画の後、少し解説をして、最後に「サイナラ サイナラ サイナラ」と言って終わるのが淀川氏のトレードマークになっていました。亡くなってかなりたつので若い方の中には知らない人も少なくないでしょう。でも、昭和の時代、この人の存在は大きかったのです。

 淀川氏は映画監督になるには、学生時代から月に一度は高級レストランに行く習慣を持つとよいですよ、と言っていたものです。3日間、ほとんど絶食しても、その分で1日はうんと贅沢をしなさいと。最近は格差が拡大して、貧乏な学生の割合は再び増えているのではないかと思います。貧乏に陥ってしまうと、富裕層を黒澤明監督の映画「天国と地獄」の山崎努のようにステレオタイプな憎しみの対象にしてしまいがちです。想像力を働かせる対象ではなくて。でも、もし、高級レストランに月に一度行くとしたら、そこに行くための服装もそれなりのものが必要になるでしょうし、レストランに行くと、普段の学生生活では出会うことのできない社会階層の人に出会う機会もあるでしょう。そこで自分とは異なる集団の人々に対して、貴重な観察の機会を得ることができると淀川氏は言うのです。

 「もしまかり間違って自分が大富豪になってしまったら?」いったいどんな1日を過ごしていて、家の中で家族とどんな会話をしているのか?また金持ちにはどんな不安や恐怖、苦しみや葛藤があるのか?私は絶食してまで高級レストランに行くほど、自分を研ぎ澄ますことができなかった鈍い口ですから映画監督にもなれなかったわけですが、淀川氏の言葉はよく思い出します。

 少しわき道にそれますが、「もし自分が極右だったら?」こう問いを立てることもできるでしょう。もし自分が極右だったら、ロシア語か、中国語、あるいは韓国語を勉強して、東アジアで仮想敵と見なされているこれらの国々の実態を知ろうと潜入しようとしたのではないかと思います。しかし、もしそれらの国々への憎しみが強くあったら、とてもその言語を学ぶことはできません。ですから、一度、人種的な嫌悪感とか憎しみを心から滅却して、純粋にそれらの国々の政情や歴史、あるいはものの考え方を学ぼうとしたでしょう。若い頃から、国を守るというのはそういう遠回りなプロセスではないかと私は思っているのです。

 冷戦終結時にジョージ・H・W・ブッシュ大統領の参謀で、ソ連および東欧の専門家として活躍したのが、後に国務長官まで上り詰めるコンドリーザ・ライスという人でした。ライスは米国の仮想敵国ソ連の言語であるロシア語に堪能でした。そもそも米国にはソ連の研究をする研究者が多数存在していました。「米国のことはソ連に聞け、ソ連のことは米国に聞け」と言う言葉があったものです。一度、好き嫌いという思いを滅却して、心を空にして、純粋に対象について知ろうとする、そういうことのできる人をたくさん抱えていれば集まる情報の精度は上がり、危機に機能する人間関係のパイプが複数でき、国の外交政策も様々な選択肢を持ち得て厚みを増していくはずです。冷戦を平和に終結させた人々というのは米ソともに、そういう人々だったと思います。