今日は1冊のフランスの哲学エッセイについて書きます。原書のタイトルは「Recommencer」で、邦題は「もう一度・・・やり直しのための思索」です。私がフランス人の翻訳家コリーヌ・カンタンさんの監修のもとで翻訳しました。著者はマチュー・ポット=ボンヌヴィル(Mathieu Potte-Bonneville)氏。日本の中には名前を耳にするのが初めての人もいるかと思いますが、パリのジョルジュ・ポンピドー国立芸術文化センターで映画や討論などの催しのディレクターをしていて、刺激的な活動をしている哲学者です。下の映像はアンスティテュ・フランセの広報ビデオのために著者が語ったもので、私が字幕をつけさせていただきました。これを見て頂けると何を伝えたい本かがわかると思います。
何かを途中まで一度やっていたけれど、挫折したり、間が空いたりして中断したものって多いでしょう?個人の人生にもあるでしょうが、国家レベルでも、企業レベルでも、自治体レベルでもいろんなレベルで中断したプロジェクトはあります。たとえば冷戦終結で頓挫した社会主義もその失敗を有効に活かせば再開することもできるかもしれません。ただ、本書で述べられているテーマは、そうした政治的な右左ではありません。古代ギリシアのように、市民が政治に参加するにはどうすればよいのか、といったテーマもありますし、芸術家の経験を通して人間の成熟というテーマも語られます。数学の挫折したプロジェクトの再生の物語もあります。あるいは歴史上の英雄に成り代わって過去の歴史プロジェクトを再生したい、というヒトラーなどの野心も語られます。
では、再開するには何が必要なのか?そのために、まずは「再開とは?」と哲学してみると、どういう営みであるのか。そこから、何が再開を妨げる壁としてあり得るのか?この課題を、欧州の哲学や文学から引用もしながら、7つに章立てて考察していくものです。再開のための思索というと、つい経営難に陥った社長のV字回復までの奮闘記みたいなものを思い浮かべがちですが、これはもっと根本的にこの問いを思索したものです。
登場するのはラッセルやフレーゲ、フローヴェール、アレント、フーコー、デカルト、ベケット、パヴェーゼ、ブルーメンベルクなどなど多彩な欧州知識人たち。幸運にもこれが出会いとなったら、将来ここからいろんな方向に文学や哲学の関心を伸ばしていくことができる樹の幹のような一冊だと思います。
今、新型コロナウイルスでいろんな形で危機が起きていますが、それを乗り越えて、どう社会を復活させていくか、という意味では非常に現在ともつながりのある問いかけだと思います。もう一度やるとしても、良いところは残しながらも今までとは違った仕組みを取り入れないといけない点も多々あるはずです。そうした時にどういう風に考えるべきか、その大きなヒントになるかと思います。はっきり言って内容的には簡単ではない本ですが、しかし、ビーフジャーキーのように固いからこそ長く噛んで味わいがあると言えるでしょう。一度、仕事を失ったからと言って自殺するような社会ではなく、一度離婚したからと言って希望を失うような社会ではなく、50代になったからと言ってもう人生の終わりでもなく、生きている限り何度でもチャンスが持てて希望が花開く社会になって欲しいものです。私はそんな思いを持って、この本を翻訳しました。