「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

ルネサンスの巨人、ダ・ヴィンチの邪悪な一面を見た

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トゥールの古城(アンボワーズ城)

 パリから南に列車でおよそ2時間のところにトゥール(Tours)という町があります。TGVだと1時間です。昔から豊かな自然に恵まれ、王族が狩りをして楽しんだ場所。パリのモンマルトルのマンションに滞在していた頃、週末に昼食を食べに来なさい、と大家さんから招かれたので出かけました。大家さんはこの町に住んでいるのです。列車はオステルリッツというパリ市内の駅から出ていました。トゥールを降りて移動すると、古城がたくさんあります。英国のロック歌手、ミック・ジャガーが買った城もあるそうです。
 大家さんがまず案内してくれたのはアンボワーズ城でした。フランス史でも重要な歴史を持つ城です。城には庭園があり、チャペルがあり、城の高台から庶民というか当時であれば臣民が暮らすロワール河一帯が見晴らせます。しかし、残念ながら、ちょうどこの日は曇り空で、河も水かさが増し、色は濁っていました。それでも城の高台に立ってみると雲が、空が非常に近く感じられます。かつては王権は天からの授かり物だと考えられていたのですが、感覚的にそれが実感できました。
 アンボワーズ城は15世紀末から16世紀初頭にかけて建設された城で、「初期フランスルネッサンス様式」だとガイドブックに書かれています。当時、フランスの王族はルネッサンスの生まれたイタリアから、多くの教養人や芸術家を招いていました。庭には丸く刈り込まれた植木がありますが、その中に一体の胸像がありました。説明を読むとレオナルド・ダ・ヴィンチの像でした。ダ・ヴィンチはこの館にどんな関係があったのでしょうか。
 ガイドブックによると、レオナルド・ダ・ヴィンチはフランスルネサンスの庇護者、フランソワ1世からアンボワーズ城から徒歩3分のところにある瀟洒な館「クロ・リュセ」を提供され、さらにまた潤沢な年金と研究資金を王から与えられ、フランスに移住し、晩年の3年間を過ごしていたのです。実際、アンボワーズ城の下にある道をちょっと歩くと、このクロ・リュセにたどり着きます。フランソワ1世はダ・ヴィンチの才能に惚れ込んでいたのです。クロ・リュセにはダ・ヴィンチがフランソワ1世を夕食に招いたときの食事の部屋もあります。長い食卓が据えられていて芸術、人生、軍事、哲学・・・さまざまなことがこの部屋で話されたのだろうと思われます。日本であまり知られていないのではないかと思いますが、ダヴィンチが亡くなったのはフランスのトゥールにあるこの館です。館の周りにはダビンチの菜園があり、思索のための散歩道もあります。林と小川もあり、ちょっとした閑静な世界をなしています。「食欲がないときは食べてはいけない」などのダ・ヴィンチの言葉が紹介されています。ダ・ヴィンチ菜食主義者だったそうです。
  クロ・リュセは今ではダ・ヴィンチの記念館として一般公開されています。ここにはまた、ダ・ヴィンチが設計・考案したパラシュート、戦車、大砲、ヘリコプター、水門、自動車など様々な模型が展示されています。スケッチの中には走る馬車の後に付けられた数枚の刃物で手足がもぎ取られて倒れている兵士の姿もありました。また、円盤のような丸いドームの中にいくつもの鉄砲が据えられている絵もあります。キャタピラこそありませんが、戦車の原型です。
  ルネサンスの天才の邪悪な面を見た、という気がしました。フランソワ1世はよくこの館にダ・ヴィンチを訪ねては会食し、自由に歓談したと言いますが、その中には軍事や新兵器開発の話も少なからずあったのではないかと思います。実際、フランソワ一世がイタリアのルネサンスの教養人を招くきっかけとなったのも、フランス軍のイタリア遠征に力を入れていたことにあります。