「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

経済学者ポール・クルーグマンがニューヨーク市長候補アンドリュー・ヤン(台湾系)の経済政策の目玉ベーシックインカムに疑問をつきつける

 

 先日、このブログでニューヨーク市長選で台湾系のアンドリュー・ヤンが21人の候補の中で世論調査のトップを走っていることを書きました。ただ、アンドリュー・ヤンの実業家ひいては経営者としての実力がどの程度あるのか、といったことや政治・行政経験がないことなどが不安の材料ともされていました。

 昨日付けのニューヨークタイムでは経済学者でコラム欄を持っているポール・クルーグマンがアンドリュー・ヤンの経済政策の目玉である大人一人当たり毎月1000ドルのベーシックインカムを批判しています。

Andrew Yang Hasn’t Done the Math

 コラムのタイトルがこれで、つまりヤン候補のベーシックインカム政策の基礎となる計算がなされていない、あるいは示されていないという突っ込みです。もしヤン候補の言う通り毎月1000ドルを支給すると、米国家は年間3兆ドルの税金が必要となるが、それは今バイデン大統領が進めているインフラ投資ですら2兆ドルの直接投入で何年もかけて返済というスキームですから、このベーシックインカムの毎年3兆ドル分の財源をどうするのか、と問いかけています。もし、そこに3兆ドル使うなら、インフラ投資などはどうなるのか?と。

 このベーシックインカム論の発端はヤン候補が大統領候補だった時のものだと思いますが、クルーグマンは現状では不可能だし、不要だとばっさり切っています。さらにヤン候補が指摘するロボットやAIによる労働者の削減は言われているほど現状ではまだ深刻なものにはなっていないことも指摘しています。経済学者らしい視点ですが、もし労働者の削減が起きているなら、統計上は製造業における労働者一人当たりの生産性が上がったと見なされるが、実際にはむしろ生産性の伸びは過去10数年、低迷したままだと(下のグラフ参照)。私は米国の工場にはAIロボットの導入が進んでかなり生産性が上がっていると思い込んでいました。以前、サンフランシスコにあるテスラの電気自動車工場を訪ねたことがありましたが、もはや昔映画で見たような自動車の製造ラインとは根本的にイメージが違っていたのが強烈に記憶に焼き付いています。AIロボットが何人分もの仕事を実際にこなしているわけです。実際にAIロボットの導入が労働者の雇用を抑制している面があることは確かだと思います。

 下のグラフは労働生産性の「伸び率」の変化を示したもので、この10数年は「伸び」が低迷していることを如実に示しています。労働生産性は単位時間あたりの生産量で示されます。ちなみに1990年代半ばから2000年あたりにかけての大幅な「伸び」はインターネットが普及したことによるITによるものでしょう。2009年と2010年の伸びが激しいのは生産性が急激に伸びたというよりもリーマンショックの余波でリストラが進んだことによる計算上のもののように読めます。米国の労働生産性の伸び率の第二次大戦後の平均値は約2.1%程度で、このグラフは最近はこの平均値に届いていないことを示しています。クルーグマンが根拠にしているのはこのグラフと労働統計です。

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米国の過去15年程度の労働性生産性の「伸び」は低迷している

www.bls.gov

  労働生産性の問題ひいてはロボットに雇用が奪われる問題とは別に、クルーグマンは労働者の賃金が低迷している問題の核心は労働組合の不調に由来するとしています。実際、上のグラフを見て感じることは、技術革新や不況で大規模にリストラされると労働生産性が急上昇する傾向があるのだとしたら、2011年以降の「労働生産性の低迷」はオバマ政権誕生後、給料を低くしても雇用を増やして、リーマンショック後の大量の失業者を減らす政策によるものではないかと感じます。つまり、雇用はむしろ伸びているのでしょう。ただし、賃金は低くなっていて、このことが格差問題を生んでいます。

 クルーグマンのこの議論は新型コロナウイルスによるレイオフあるいは解雇は考慮に入れていませんで、長期的なトレンドを考慮したものです。いずれはロボットがもっと深刻になる日が来る可能性があり、その時、ベーシックインカムの導入も検討すべきだが、今ではないというのです。

  さらに、クルーグマン正規雇用の労働者にとっては、また、月1000ドルのベーシックインカムでは足りないとして、労働統計をあげて、正規雇用の労働者は平均で毎週約1000ドルの収入があることを書いています。

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  ポール・クルーグマンニューヨークタイムズのコラムは私が2005年にサンデー・プロジェクトというテレビ朝日の報道番組(当時)で米国のバブル経済ぶりを取材していた時に毎回、熟読したのを思い出します。リーマンショックが起きたのは2008年の秋で、その前触れは2007年夏だったのですが、実際には2年前の2005年、あるいはその前年からクルーグマンニューヨークタイムズで米主要都市で住宅不動産バブルが起きていることに警鐘を鳴らしていました。2005年に私たちの取材班がサンデープロジェクトで住宅金融バブルを報道した時は、日本国内の反響は「ほんまかいな」という感じでした。米国ではプチバブルはよく起きるので、今回もその1つでは?という見方もあったのです。しかし、クルーグマンのコラムは問題の大きさを予見していました。米国でも連邦準備制度理事会の関係者や地域の連邦準備制度の人の中には住宅不動産の異常さを指摘する人もいましたが、トップレベルの政策当局者にもみ消されていたようです。私にはその頃のことがあって、クルーグマンのコラムには常に注目しています。

 ただ、私はこのAIロボットと労働者の削減の問題は、もう少し自分なりに調査してみないとわかった気にならなかったのも確かです。私には製造業の現場=工場のラインではAIロボットが大量に導入されて雇用が減る傾向にあるものの、接客が核になるサービス産業の現場ではAIロボットよりも労働者の存在が重視されるという風に業界ごとにAIロボット導入の状況がかなり違っていて、全部をどんぶり的に議論すると見えなくなる面があるのではないかと思います。そしてトランプ大統領は米製造業の復活を2016年の大統領選で掲げていましたが、実際には前にこのブログでグラフで示しましたように米製造業者の人口は過去4年でほとんど伸びていません。ですから、雇用の伸びはサービス産業で起きたと想定されます。そこではAIロボットは製造業ほど深刻な影響をまだ与えていないのではないかという仮説を私は立てました。このことが優れたAIロボットが製造現場などにかなり導入されつつも、全業種的には未だ「生産性の伸び」=ひいては労働者の雇用削減の大きな動因には未だなっていない理由ではないかと思います。