「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

ニューヨークタイムズは1年で読めるようになります グローバル時代の今、日本経済を考えるヒントが充満

 ニューヨークタイムズは1年で読めるようになります、と私は映像業界の周りの助手だった若者たちに言ってきました。その頃、私はグローバル経済を見つめる番組を作っていたものですから、そんな風にいつも薦めていたのです。今、ネットでニューヨークタイムズを購読すると、1年間はお試し期間ということで週0.5ドルという驚くような安さで読めます。お試し期間はですから、月間で5週間だったとしてもせいぜい2.5ドルですから300円くらいなんです。最初は1日記事を1つ読むと決めて、その記事は短いものでもよいので、それだけは辞書を引いて完全に理解できるまで読む。毎日、経済、政治、社会、映画、文学や演劇、料理や旅行、音楽、スポーツ、コラムなどなど、1つ読むことを365日繰り返すと、かなり単語が頭に入ります。ニューヨークタイムズは英語の勉強のために読むのではなく、ニューヨークタイムズを読むために英語を勉強する、というのが私の場合です。あくまで情報を得ることが大切です。ニューヨークタイムズで学んだ知識で、日本の経済のことも応用が利くようになるものです。

  私はアベノミクスが2013年初頭に始まり、株価が上昇して、安倍首相のパワーが増大していた2013年6月に、アベノミクスの先行きが暗いことを書きました。以下の文章で、ニューヨークタイムズの2012年2月の記事に刺激されたものです。中国で連発している工場でのストライキが何を意味しているか、を考察した的確で見事な分析でした。こうした記事を読んだとき、「ニューヨークタイムズって本当にいいですね」と言いたくなります。1国の経済発展の中で労働者の賃金上昇は何を契機として起こるか、ということが示されていて、その時は「ルイスの転換点」と呼ばれています。

 アベノミクス鳴り物入りで始まったものの労働者の「実質賃金」が上昇する兆しが半年ほどだっても見えなかった。実質賃金とは物価の上昇分を差し引いた賃金です。そればかりでなく、2013年の夏の時点でもメーカーは海外に拠点を移したり、外国企業をM&Aしたりしていたわけで、どう考えても製造拠点の国内回帰の波は起きていないと私は判断しました。日本の新聞は少なくとも2018年くらいまでは実質賃金の本質まで描いていなくて、(名目)賃金が上がったという経済の表層だけ取り上げた皮相な記事が多かったのを皆さんも記憶にあるかと思います。

 このテーマは何も前の安倍政権を批判するためだけに書いていることではなく、日本のデフレ脱却とは1990年代以来の大きなテーマだったわけですが、残念ながら安倍政権は肝心のところができていなかったのです。先進国としていろんな技術をいち早く取り入れて懸命に進化してきたのに、なぜ今、工場が国の外に出て行って空洞化して、町がどんどん廃れていくのか?そんな苦い思いは日本のみならず、米国でもフランスでもドイツでも起きていることで、このことが先進国で極右と極左が躍進している根源です。進化する先に本当に幸せな未来はあるのか?という不安を21世紀に人類は史上初めて持つようになったと言って過言ではありません。ですから、今の極右が台頭して民主主義すら脅かしている問題はそんな簡単に解決できるものではないと私は思っています。極右の人たちは今年の米国の議会占拠みたいに馬鹿っぽく見える側面もありますが、彼らが発信している言葉を軽視せず、きちんと考えないといけないものがそこに含まれていると私は思っています。未来を開くグローバル化は、単なる人、モノ、金の越境ではなく、国境を越えた人々の対話でしか実現できないものだと私は思います。

 

「グローバル時代の「ルイスの転換点」 ~アベノミクスの弱点~」

 

昨年、ニューヨークタイムズの寄稿欄でミシェル・ダモン・ロヤルカ(MICHELLE DAMMON LOYALKA)という名の中国在住の女性記者が書いた一文に強い印象を受けた。記事のタイトルは「中国の労働力はもう安くない」(’Chinese Labor, Cheap No More’)というもので、2月17日付けである。

  記事の骨子は中国が「ルイスの転換点」(Lewis Turning Point )を迎えてしまったということである。「ルイスの転換点」とは経済発展理論の研究者であったセントルシアの経済学者アーサー・ルイス(Arthur Lewis,1915-1991)にちなんだ言葉で、「農村の余剰労働力が底をつき、以後、労賃が急上昇し始める経済発展の段階を指す」’the stage at which the rural surplus labor pool effectively runs dry and wages begin to rapidly increase. ’

  日本がルイスの転換点を超えたのは1960年代である。農村からの大量の集団就職も途絶え、若者がごっそりいなくなった農村では以後、過疎化が進んでいく。一方、都市では賃金が上昇し始める。地価も住宅価格も、食費も、交通費も、学費も、人件費も上がっていった。当時は毎年のように物価も賃金も上がって行った。子供心にどうして毎年モノの値段が少しずつ上がっていくのか不思議に思えたものだ。これは「ルイスの転換点」を迎えた日本の都市では土地も労働力も供給が限界に達していたからだ。もし農村にまだ余剰労働力がプールされており、土地も空き地が多量にあるなら、モノの値段は上がらなかったはずである。

  それからおよそ数十年を経て気がついてみたら日本の人件費は世界的にも高くなっていた。一方韓国など、周辺国の工場が台頭してきたこともあって日本製品の価格競争力が落ちてきたことから新興国に工場が移っていくことになった。先進国のアメリカでも10年先に空洞化が進行していた。

  さて、NYTの記者によれば中国はすでに「ルイスの転換点」を迎え、都市部を中心に労賃が急上昇を始めたというのである。実際、少し前から中国沿海部では労働争議が頻発し、賃上げや待遇改善を求めるデモが相次いでいた。記者によればこれは中国の農村部からもっと悪い待遇で、かつ安い賃金で働く余剰労働力が底をついてしまったことを意味する。経営者は労働者を維持するためには賃上げや待遇改善を余儀なくされ始めたのだ。

  「世界の工場」中国で人件費が急上昇し始めたのなら日本の労働者にとっては人件費の差が解消に向かって製造業の空洞化も一段落するのか、と思いきやそうではなかった。中国で操業していた日本企業群は日本回帰をする代わりに、「ネクストチャイナ」と称して、中国に代わる安い労働力を求めてベトナム、タイ、インドネシアカンボジア、あるいはアフリカなどに目を移し始めた。こうした中で、日本国内では安倍政権が誕生した。安倍政権はアベノミクスと称し、デフレ対策を掲げて市場に円をじゃぶじゃぶつぎ込んだ。しかし、ネクストチャイナを模索する企業群は国内で設備投資をほとんど進めていない。こうなると余ったマネーは再び投機目的で世界を駆け巡るほかなくなる。

  もはやグローバル企業にとっては「ルイスの転換点」を一国が迎えても、「発展段階の低い」別の国に投資すれば何年か時間が稼げる。その国が「ルイスの転換点」を迎えればさらに・・・と次々とやっていけばよい。つまり、それまでなら一国単位で経済発展モデルを考えればよかったが、グローバル化した今では「ルイスの転換点」も世界ベースで考える必要が出てきたのである。世界にはまだまだ余剰労働力が莫大にプールされているのだ。土地も莫大にある。これらを日本のグローバル企業が自由に使えるのだからモノの値段も労賃も上がりにくい。

  歴史を振り返れば日本がデフレに見舞われることになったのは1990年代に入ってからだった。当初は資産デフレと言われ、バブル経済崩壊による不良債権がデフレの原因のように見られていた。たとえば建物の担保価格が下落したり、土地代が下落したりと言ったバブル崩壊に伴う不動産価格の暴落がデフレの主因と言われていた時期があった。しかし、不良債権処理が一段落した今も、デフレのトレンドは脈々と続いている。これはすでに1978年から開放政策を取り始めた中国とともに、冷戦終結後、かつての社会主義国家群やブリックスと命名された新興工業国家群の安価な労働力が解放されることになったからだ。株価や不動産価格がなんであれ、日本国内で失業者(やパートタイマー)が増え、労働者の給料(実質賃金)が下がっているのだから、デフレになるのは当たり前である。

  そして今、ネクストチャイナの有力候補として台頭してきたのがアフリカである。鉱物資源やエネルギー資源が豊富なだけでなく、労賃は世界で最も安く、莫大な土地がある。この土地で大規模農業をして日本に輸入すれば日本の農業の補完もできるという人もいる。今やアフリカでは米も大量に収穫できるのだ。


  現在、1日1.25ドル(約125円)以下の収入で暮らす人の割合が最も多いのがサブサハラと呼ばれるアフリカのサハラ砂漠以南の地域である。48.5%だからおよそ半数が1日125円以下の収入で生活している。さらに1日2ドル以下に貧困のラインを広げればサブサハラの約70%、また南アジアの67%が射程に入ってくる。1日200円以下で生きている人々が莫大に存在しているのである。一方、日本では地域差はあるものの、たとえば東京都の1時間当たりの最低賃金が850円と定められている。沖縄県は1時間653円である。平均では749円だ。つまり、グローバル化の進行は日本国内のデフレへのさらなる圧力となってくるだろう。実際、産業界の声をバックに日本の政治家の中には最低賃金制度を廃止せよ、という声も出ている。

  こうした世界の労働力を考えれば、日本経済のデフレ解決には世界の人件費の格差にメスを入れなければならないことがわかる。でなければ安い労働力による安い商品の流入を抑えることはできない。いくら手もとに金があっても安い商品と高い商品で品質にそれほど差がなければ安い商品を買うだろう。これではいくら金融緩和して市場にじゃぶじゃぶ金を注いでもざるに水を注ぐようなものだ。世界で最も発展の遅れた国がルイスの転換点を迎えるまであと何十年かかるだろう。その間日本国内の実質的な労賃は据え置きか、下がる一方だろう。こうした実態を放置したまま、金融市場に金を注いでも~株価や地価は一時的に跳ね上がるかもしれないが~経済の基本となる給料が変わらなければデフレは解消できない。

■アーサー・ルイス

  経済発展モデルの研究者。カリブ海上の島セントルシアに生まれた。セントルシアイギリス連邦に属し、英国王が国王を兼ねる。長じて後にロンドンで経済学を専攻した。1957年にガーナが独立を果たすと、ルイスはガーナ政府の経済顧問となった。「ルイスモデル」とも呼ばれる経済発展理論を1954年に発表し、それらの功績によって1979年にノーベル経済学賞を受賞した(ウィキペディアを参照した)。