「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

グレゴリー・マンキュー教授の経済学入門  マクロ経済学とミクロ経済学

  2011年秋にニューヨークで「Occupy Wall Street」(ニューヨークを占拠せよ)という社会運動が始まり、学生や社会人が格差社会を引き起こしている元凶として金融の象徴ウォール街に繰り出して抗議デモを始めた頃、少し離れた町、ボストンにあるハーバード大学で経済学の教鞭を取っていたグレゴリー・マンキュー教授の教室からも大学生たちが一定数、ウォール街へ動員されて出て行ったそうです。動員されたと書きましたが、おそらくはむしろ、自発的に一人、また一人と主体的に駆けつけて行ったのだろうと思います。ハーバード大学自体も格差の象徴として見られているフシもあります。しかし、マンキュー教授は「経済学を学ぶことこそ格差をなくすには早道なのに」・・・と思っていたそうです。マンキュー教授が書き記した経済学のテキストは近年、大学で学ぶ経済学の定番になろうとしているようです。

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グレゴリー・マンキューの経済学のテキスト

  私はもともとは経済分野の取材がメインだったのですが、過去10年近くは政治がらみの取材が多く、経済学の知識が忘却の彼方に消えていきそうな気がしてきました。私の大学時代は、ソ連崩壊の前夜に当たり、マルクス経済学も勢いを失っていました。それでもマルクス経済学と近代経済学の2つの経済学がなお併存していて、大学の講義で学んだのはマルクス経済学でした。しかし、私の勉強が中途半端だったのに加え、「資本論は1日10時間、1年間勉強すれば理解できる」というような話があり、とてもそんなことはできそうにありませんでした。私はそもそも法学部生で経済学を学んでいたのは一般教養課程のことでした。ですので物理的時間もそうですが、マルクス経済学の勉強をしようとテキストをひも解いても、教義的な印象が強くて拒否反応が起きてしまうんです。自分の周囲で起きている現象とは無縁に、19世紀英国の経済社会の状況をもとにいろんな公式を詰め込まされる・・・という感じが私にはどうしても我慢のできないものだったのです。

  卒業してしばらくして報道の仕事を始めて、どんどん変貌する経済構造を現場で目にして再び経済学を学ぼうと思いましたが、その時、手にしたのは伊藤元重著「入門経済学」でした。この本は1980年代の末に初版が書き下ろされていますが、画期的なテキストだと思います。この本は近代経済学の領域ですが、私が学生の頃は近代経済学のテキストもまた、マルクス経済学のテキストほどではありませんでしたが、あまり面白くなかったのです。伊藤元重著「入門経済学」の第一の特徴は比較的最近起きている経済現象の具体的な例を豊富に挙げて、その背後に潜む経済法則を語る、というスタイルであったことでした。これだと興味を持って読み進めていけます。「入門経済学」はマクロ経済学ミクロ経済学を両方、1冊にまとめている所も好感が持てました。同時期に学習院大学岩田規久男教授の経済学の入門書「日経を読むための経済学の基礎知識」も出ていますが、こちらもかなり身近な現実が生々しく書き記されていて、興味を持って読めました。生々しい現実からという点では日経新聞と提携した岩田教授のテキストの方が新聞記事をそのまま引用しているだけに強いものがありました。1989年に出版されていて、当時の日本のバブル経済や、日米貿易摩擦、さらに1980年代のレーガノミックスの基礎が分析されていて、とても興味深くを読んだのを覚えています。岩田規久男は安倍政権でデフレ脱却に取り組むようになり、デフレ脱却が成功したとは言えないので、私の中では少し評価が下がってしまいましたが、それでも「日経を読むための経済学の基礎知識」はとても良い本でした。伊藤元重教授も新自由主義の論客として安倍政権に取り込まれていきますが、岩田氏も伊藤氏も、あまり政治に直接形で参加しなかった時の方が良かったな、という気がします。

 その後、時に応じていろんな学者が書き下ろした経済学の入門書を読みました。スティグリッツサミュエルソンなどです。サミュエルソンは私が学生だった頃は近代経済学の分野では定番だったのですが、それほど面白く感じませんでした。スティグリッツの方が現実の記述が豊富な分やはり面白く読めました。グレゴリー・マンキューの経済学入門は邦訳でマクロ経済学ミクロ経済学と2冊、6~7センチくらいの厚みのテキストを最近買って久々に経済学のテキストを読んでいます。マンキューのテキストもかなり現実の記載があるので、飽きずに読めます。

 経済学と言えば私の学生時代の反応にあるように「面白くない」という印象が今日なお強くあるのではないかと感じますが、社会学の1分野と思うとアレルギーも抜けるのではないかと思います。社会で起きている現象を分析するにあたって、経済学は大きなツールとなります。伊藤元重氏は「入門経済学」の冒頭で、なぜ大学生が経済学を学ぶべきかと言えば、基礎を学ぶことで、おかしな経済の俗説を見抜けるようになるためだ、と書いていました。経済に関する番組でも、様々なトピックの背後には経済学入門で説き起こされている話題が、学説上の用語こそ出てきませんが、しばしば裏に潜んでいるものです。

  私が経済関係の番組作りが多くなったのは同僚たちが経済にアレルギーを持っていたからに他なりません。彼らがやりたがらなかった番組が自然と私のところに回されてきて、いつしかそれが中心的になっていったわけです。私自身が経済学へのアレルギーを失うことになったきっかけは先述の2冊の日本の入門書によりますが、と同時に私が駆け出しだった1990年代半ばは経済構造が大きく変貌している最中で現場に経済の力を見せつける事象にあふれていたことでした。まず私にとっては日本のバブル経済(1980年代の異常な加熱)の原因とその後に起きている事態の動的構造を突き止めたい、という思いが何よりも強くありました。学生時代を無知のままのんびり過ごし、その頃進行していた事態に目を閉ざしていたことへの反省もありました。つまり、私は自分が何者であるのか、普通は文学的なテーマなのですが、私の場合はそれを突き止めるにあたって経済学を学ぶ必要を感じたのです。それぐらい経済が個人に大きく圧力をかけた時代でした。

  そして今、私が経済学の入門書を10年ぶりに読みたくなったのは、今、再び経済の大きな新しい波が起きそうな気配を感じるからに他なりません。