「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

革新的な人間と保守的な人間

 私は日本でよく「保守」と自称している人々を批判的に見ることが多かったのですが、自分は革新的な人間か、保守的な人間か客観的に考えてみると、保守的な人間の典型ではないかと思えてきます。まず、新しい技術については疑念が強くて、新商品が市場に出ても必ずそれが一定程度広がって、私が直接知っている知人たちの多くが「これはとてもいいよ」と言うのを複数聞いてからでないと買いません。「石橋を叩いて・・・」と言われるタイプに他ならないのです。そして、この傾向は親譲りでもあり、私の父親はパソコンを使ったことはありませんし、自動車も持ったことがありませんでした。その一方で、私の知っている同業者は1995年にウィンドウズ95が日本で最初に発売された時、徹夜の行列もいとわず列に並んで買ったと聞きます。私はそういうことができなかったのです。

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  そういう目で世界を見ると、アメリカ人たちはいかに新しいことに挑戦しているかと驚かざるを得ません。今まで世界になかった様々なものを、しかも、新しい会社を仲間とわずか数人で立ち上げて成功させ、投資家から資金を集め、成功に導いています。もちろん、その間で討ち死にする企業は絶えません。こういうのは新大陸発見のために失敗した数々の新航路開拓の経験を経て、アメリカという国が築かれたように、土台となる原体験がそれに貢献しているのではないかと思います。アメリカ人の中には保守層も多く存在しますが、一方で、リスクを取って新しいものに挑戦するのが好きな国民性を持っています。米国民にとってはそういう生き方こそが先祖が代々、行ってきたことであり、日本から見ると革新的に見えますが、アメリカ人にとってはそれは保守的なマインドでもあると思います。アメリカ人たちが日本を見習ってオープンに議論せず、何かにつけ、権力者同士で根回して物事を決めるような社会を築こうとしたら、それはむしろアメリカ人にとって革新となるのはないかと思います。

  私が携わっている情報産業は一見新しい物好きで、カタカナ産業のように見えますが、その核心は私の郷里・岡山で400~500年伝統的に続けられてきたものです。戦国時代から江戸時代にかけて山伏という修験道の修行者の服装をした岡山人たちが軍事情報やその他の情報を収集するために東西へ派遣されて情報を集めていたと聞きます。修験者は関所をほとんどフリーパスできたからです。江戸時代には情報産業というような言葉もジャーナリズムという言葉もメディアというものもなかったわけですが。デテールは異なりますが黒澤明監督の「虎の尾を踏む男たち」で描かれているものと少し似ています。

 当時、西に毛利、東に織田や豊臣や徳川を抱え、軍事的強豪勢に両側から挟まれていた岡山人は、今日、西に中国、東に米国という強豪に挟まれた日本とポジションが同じです。生き残るために必要なものは情報です。両者とどのような関係を持つか、いかに戦乱に巻き込まれずにいるか、このために必要なものはまず正確な情報です。