「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

ニール・サイモン劇の時代  中流層が主流だった時代のドラマツルギー

 先日来、政治と演劇について少し書きましたが、1970年代から80年代にかけて最も売れっ子だった劇作家がニール・サイモンだったと言っても過言ではないでしょう。サイモンはユダヤ系の自分の家族をモデルにした「ブロードウェイバウンド」などの自伝的作品を何本か書いていますが、基本的には「裸足で散歩」や「おかしな二人」のような喜劇作家として知られています。この時代は米国で未だ中流層が大きなボリュームとして存在した時代でした。

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  こうしたサイモン劇が日本で翻訳され始めたのは1980年代初頭からで、4~5冊劇作集が出版されたはずです。私は全巻出版されるとすぐに買って読んでいました。日本映画学校でシナリオを書いても「君のはアメリカ演劇のコピーだ」というような評価でした。確かにそうだったでしょう。それくらい私は大学時代からアメリカ演劇が好きだったのです。実際、ブロードウェイまでサイモン劇を見に行きました。総じて日本の1980年代はスタンダップコメディや喜劇作品が流行した時代でした。

  同じくらいの高いクオリティを持つ喜劇映画に「恋愛小説家」という映画があります。ニール・サイモンが書いたと言ってもおかしくないような感じのドラマですがマーク・アンドラスという人が脚本を書いています。封切られたのは1997年。ジャック・ニコルソン扮する主人公が好きになるレストランのウェイトレス(ヘレン・ハント)はシングルマザーで、喘息を持つ息子が一人。彼女がレストランを休んだことから、気になって彼女の家まで訪ねたことがきっかけで、二人の葛藤がらみの恋愛が始まります。核にあるのは恋愛小説の売れっ子作家なのに、自分の恋愛に関しては消極的であること。よくできた喜劇ながら、それでもサイモン劇と決定的に違うものがあります。

 社会が経済的かつ文化的に二分化されていて、格差を持つ男女の恋愛として描かれていたことです。ニール・サイモン劇でもリッチな人も貧乏な人も出てきますし、基本的に米社会はそういう社会だったわけですが、それでも10数年の間に共通の文化的基盤が損なわれるほどにその差が劇の前景化していたことです。さらに言えば脚本家がそのことを単なる性格描写の材料にせず、主人公たちの生を左右する大きな障壁としてとらえていたことにあります。というのも喘息の子供はアレルギー体質ですが、医療保険に彼女が入っていないためにきちんとした病院での検査が受けられないのでした。ウエイトレスに近づきたい下心もあったからですが、それでも恋愛小説家がコネを使って医療支援をしたことで彼女の息子の健康が改善されたのは確かです。脚本家のマーク・アンドラス(Mark Andrus)は映画人を輩出することで著名な南カリフォルニア大学で脚本を学んでいますが、ドラマを面白く見せながらも、根底にあるこの問題が劇場を出た人々の脳裏に焼き付いて離れないくらいに強烈に観客に提示したのです。

  ニール・サイモンの時代はサイモン自身が1930年代の大恐慌を生きる経済的に困窮したユダヤ系の家族の劇を描いていますが、その根底にはアメリカでは才能と努力でいくらでも成功して社会的階層を駆け上がっていけるという楽天性がありました。しかし、「恋愛小説家」では貧乏な家庭に生まれると、命も安泰ではない、という現実が描かれています。同じ喜劇でもかなり大きく違って見えました。実は1980年代に、すでに当時私が愛読していたシカゴ・トリビューンのコラムニスト、マイク・ロイコはニール・サイモン劇は現実を直視していないと批判していたのを覚えています。ロイコは辛口コラムで知られていて、シカゴ市政の腐敗と命を賭けて戦った気骨のあるジャーナリストでもあります。私はニール・サイモン劇が再び楽しめるアメリカに戻って欲しいと思っています。