「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

トランプ時代は終わっていない むしろこれから・・・「入門 トランプ政権」(共同通信社)を今、読む

 私は共同通信社が2016年12月に出した「入門トランプ政権」を古書店で買って読んだばかりです。今更、再選に失敗したトランプ大統領の入門を何で読むのか?と問われると、こう答えたい。トランプ時代は終わっていない、むしろ、これからだ、と。そんな感想を抱いたのは、本書が極めて今読んで興味を引くからに他なりません。特に英国やフランス、オランダなどの欧州極右の動きを見ていると、示唆に富んでいます。フランスでは国民連合(旧・国民戦線)のマリーヌ・ルペン党首が大統領になる可能性が少しずつ高まっていて、2017年の選挙よりも一歩も二歩も近づいているということにあります。トランプ大統領の知恵袋となったスティーブ・バノンのオルタナ右翼(またオルトライト=Alt-rightとも呼ばれる)の思想や実態もまだまだ研究が必要でしょう。

  特に本書の中で、注目されるのは米国の文化多元主義が揺らいでいる、という指摘です。あまりにも多元主義を認めてしまうと、近代国家の基盤である共通の価値観(憲法に集約される)を損なうに至る、という危機感が米国の右翼やいわゆるポピュリストばかりでなく、リベラル派の知識人にもかなりあるという指摘です。<オルタナ右翼を単に人種差別主義者と言って終わらせるわけにはいかない>と指摘しています(36ページ)。フランスのマクロン大統領とその政権が進めている法案もこれと通底しています。しかし、それがかなり右翼、ナショナリズムの色彩を持って、左派の大学の研究者とみられる人々を排除するという危険な空気も醸しているのです。

  トランプ前大統領は今、新しい右翼メディアを作ろうとしていると聞きます。この先、アメリカでどのような右翼の揺り戻しが起きるか、欧州はどうなるのか、その先を考えるにあたって、トランプ大統領時代の4年間あるいは選挙戦を含めた5年間を検証する作業は必要です。

   私はここまで書いて、ふと渡辺一夫が書いた論を集めた「狂気について」を思い出しました。渡辺一夫ラブレーなどフランスルネサンスを研究した仏文学者で、東大で教鞭を取っていました。「狂気について」は弟子の大江健三郎らが岩波文庫のために編纂したものです。ここで狂気と言っているのは、宗教原理主義の不寛容を指します。渡辺一夫が書いているのはキリスト教徒の不寛容です。というのはラブレーのいた時代に大きく垂れこめていたのはカトリック教会の異端裁判の恐ろしさであり、宗教戦争の怖さだったからです。当時のキリスト教は今日のイスラム原理主義と同じかむしろそれよりもはるかに恐ろしく厳格な宗教で、宗教裁判でひとたび悪魔の手先と見なされると研究者たちは火あぶりにされていました。このようなキリスト教の不寛容さを養ったのは古代ローマ時代にキリスト教徒たちに不寛容な政策をローマ人が取ったことに由来すると渡辺一夫は指摘しています。皮肉なことに古代ローマ人たち自身は多神教で、本来は異教に寛容だったのです。しかし、キリスト教一神教で異教を認めない立場であり、その意味で不寛容でした。その不寛容さを恐れた寛容だったローマ人たちが、キリスト教徒を競技場でライオンと戦わせるような不寛容な手段で迫害したのです。渡辺一夫古代ローマ人は徹底的に寛容であるべきだったと言っています。というのも迫害を加えて、殉教者を出せば出すほどキリスト教の基盤が堅固になり、その思想的な厳格さが増していったからでした。

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渡辺一夫著「狂気について」

   今、文化多元主義への脅威となっているものはイスラム原理主義であり、それが本来寛容な価値観で、世俗主義の近代国家の基盤を崩す、と見る人が増えています。そして、欧米では不寛容を掲げる政治家が台頭している傾向があります。この論が古代ローマキリスト教が台頭した時のエピソードにだぶって見えるのです。

  渡辺一夫が研究したラブレーエラスムスといったルネサンス文人たちは原理主義を批判し、ユーモアを核にしたルネサンス人文主義の復興を企てました。渡辺一夫は戦時中、国家神道による宗教原理主義ナショナリズムの時代に、狂気から逃れるためにコツコツと地道にフランソワ・ラブレーの翻訳をしていた研究者です。

  歴史を振り返ると人類は似たことを繰り返している傾向があると思えます。今のイランと米国の確執についても、欧米での議論の進め方が、紀元前5世紀の歴史家ヘロドトスが古典「歴史」の中で描いているような、古代ギリシア人が古代ペルシアを描いた視点と、2000年以上時が経過しているのに基本的に同じ構図であることに私は驚くのです。

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ヘロドトス著「歴史」