「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

スーパーで食材を買う時 

  大庭英子著「パンでごはん」という料理書を読みながら、さっそくエビとアボカドのサンドイッチを作ってみようと思いました。ところがサンドイッチ用のパンがスーパーになく、パン屋に出かけてフランスパンを買って載せて食べることに計画を変更した次第。「パンでごはん」は自宅で手軽にできるパンのための料理法を多数解説した料理本で、それまでコンビニのサンドイッチばかり食べていた私にとっては食の上での大きな変化になりました。

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エビとアボカド、そしてフランスパン

  新型コロナウイルスで多くの人が巣ごもりで仕事をするようになり、料理をする機会も増えていて、それが流通小売産業にも変化をもたらしています。私の場合は、それまでコンビニのサンドイッチとか、おにぎりを普段からよく食べていましたが、そこは激変しました。また、寿司飯も自宅で作れることがわかると、サーモンやマグロを載せた丼も時々食べています。総じて、店で買う食品がすぐに食べられる出来上がったものから、料理して食べるための素材へと大きく変化しています。このことは自宅のキッチンを活用することで、食の自由度を高めたという気がします。食材の豪華さではなく、自分が食べたいように食材を組み合わせ、好きな味付けで調理して食べることの喜びにあります。

  こうした変化はスーパーに行ったときに私の回遊するコーナーにも大きな変化を生んでいます。総菜コーナーよりも肉や魚、野菜などの生鮮食品コーナーが第一に足を運ぶコーナーとなり、さらに調味料や乳製品などのコーナーが続きます。鮮魚のコーナーに行ったとき、サーモン、マグロ、イカなどを刻んだパッケージの安売りの前で、70歳くらいの旦那が妻と見える女性に「これでいい」と指さしたのを見ました。年金生活者風の夫婦で買い物に来るカップルには時々、こういう言葉遣いをする男性がいるのを目にします。サービス品なのでしょうが、中身を見ると割とごちそうなんです。私も時々買って食べていました。でも、男性の言葉は「これが欲しい」「これが食べたい」「これがいい」という風な「が」という言葉でなく、「で」という諦め感が言葉に込められています。私はもっと豪華なものが本当は食べたいのだが、これで我慢するぞ、というニュアンスでしょう。そういうケースでは買い物かごはだいたい奥さんが持っています。悪い方ではないのでしょうが、そのちょっとした言葉遣いから、職場で部下に命令するような横柄な感じを私は受けました。「何がこれでいい、だ」と私はその時、ムッとしてしまったのでした。

  新聞等でも報道されたことですが、スーパーでポテトサラダを嫁が買うのを見て、舅らしい年配男性が若い幼い子連れの女性に「ポテトサラダくらい作ったらどうだ」と言ったのを聞いた女性が、憤慨してツイッターに書いたことが大きな反響を去年呼びました。ポテトサラダは面倒なんだ、とか、自分で作ったらどうだ、とか、そういった女性からの怒りのコメントがたくさん寄せられていました。私もその当時はポテトサラダを作ったことがなかったので、一度、自分で作ってみようと思い立って、去年の今時分、料理書を参考にスーパーにジャガイモを買いに出かけました。「初めて焼いたプリンは塊になる」というロシアのことわざ通りに、私も大失敗でした。何が失敗かと言えばキュウリを絞ったり揉んだりしないまま、わりと大きな切片のまま投入したため、キュウリの臭みが残ったのです。にんじんも同様でした。つまり、ポテトサラダの中で食材同士がジャガイモとうまく混じりあっていなかったのです。その後、失敗を反省しながら今日まで10回くらい作りました。最初は1つ1つ料理書を見ながら作っていた過程もほとんど暗記して、というか体で覚えられてきましたので、普通にプロセスが進められるようになりました。不思議なことにそうなると、だんだん店で食べていたプロが調理しているポテトサラダとさして差がなくなって来たのではないかと自分では思っています。

 ポテサラ論争の発端になったその男性も自分で料理をすることが趣味になっていれば嫁を批判する前に、自分で食材を買っていたに違いありません。男尊女卑で、料理は下賤なものという風な価値観がもし潜んでいたとしたら、その男性自身がきっと損をしているのです。というのも自分で料理を作る方が早いし、自分が好きな味にできるからです。もちろん、そういうのは時間がないとできませんが、時間が豊富にある人にとって料理は最高の趣味になり得ます。そうなると、きっと言葉が違ったものになると思います。