「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

大西康之著「東芝解体 電機メーカーが消える日~どこで道を間違えた?~」

  講談社新書の大西康之著「東芝解体 電機メーカーが消える日~どこで道を間違えた?~」も先日ブログで書きました日本の半導体事業の惨敗を描いた湯之上隆著「日本型モノづくりの敗北~零戦半導体・テレビ~」と同じタイプの書ながら、もっと構造的かつ歴史的に大きな視点で日本の電機メーカー、シャープ、パナソニックNEC、日立、富士通東芝SONY三洋電機などの苦境の原因を構造的に分析した見事な書です。出版されたのが2017年と4年前ですが、著者の大西氏がここまで明快に切り込めたのは前年の2016年に日経新聞社の編集委員を退職して、独立したジャーナリストとなったことが関係しているのでしょう。著者の大西康之は「失敗の本質~日本軍の組織論的研究~」という名著を下敷きにしながら、電機メーカーの構造をその草創期から歴史を振り返って考えたと言っています。そして、最大の敗因は失敗した時に柔軟に方向転換できず、世界の実像を無視した一方的な思い込みで政策を進めてしまったことにあると書いています。要は日本軍の惨憺たる失敗の構図が再び、というか三度繰り返されたとしているのです。特に2008年のリーマンショックと2011年の原発事故は二大パンチとなって日本企業群を襲ったのでした。

  私は1990年代に金融関連や不動産企業などを取材していました。当時はバブル経済の崩壊でこうした産業の多くが身動きが取れなくなり、さらにその負債の正確な規模も誰もつかめなくなって最初は3年間すれば復活できると言われていたのが「失われた10年」「失われた20年」と膨らんでいきました。この時、「第二の敗戦」という言葉がよく使われました。この敗戦は対米戦争での敗北を意味します。1980年代に米国に日本は逆転して世界最大の経済大国になった、戦争で負けたが経済で勝った、という思い込みがありました。「ジャパン・アズ・ナンバーワン」というような言葉が席巻していました。ところが蓋を開けてみると、真珠湾攻撃の後の展開のように1990年代には米国に大逆転されて敗北したのです。昨日まで官僚が統制した護送船団方式と呼ばれる日本のやり方は素晴らしいと絶賛されていたのに、一夜明けてみると「グローバル基準」でやらないから日本はダメなんだ、と叩かれまくりました。戦後日本の復興を支えた長期信用銀行もなくなり、米国基準で金融が作り替えられていきました。

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   上のコカ・コーラのCMは1980年代の空気をよく表していると思います。明るく、未来への期待にあふれています。しかし、その数年後の日本には就職氷河期の時代が待っていたのです。バブル経済の始まりから崩壊まで私は長い学生時代を過ごし、映画の専門学校を卒業して映像制作会社に就職したのは1992年でしたが、その時はすでにバブル経済は終わっていました。もちろん崩壊するまではバブル経済という言葉もありませんでした。私も経済にも政治にも関心のないノンポリ学生でしたので、何が起きているかさっぱり理解していませんでした。ただ、私自身は80年代末に大学4年の人生で最初の就職活動の時期に差しかかった時、あまり就職したくないな、と思ったのを覚えています。就職氷河期を経験した後の世代の人には理解しづらいかもしれませんが、経済大国になった日本というのは私はあまりいい感じがしませんでした。なぜかと言うと、それは大企業の力が増して、社会のすべてに企業の論理が影響を持つ企業社会に日本がなったことを意味するからです。当時、私は映画の脚本家を目指していて、そもそも就職という発想が乏しかったのですが(むしろ普通の暮らしではなく、普通の人が体験しないような様々な体験を仕事でした方がよいと思っていました)、その裏には企業社会の論理よりも作家の論理、あるいは個人の論理の国になって欲しいという思いがありました。そこにはサラリーマンだった私の父への反抗精神もありました。

  80年代に常識とされたものが、90年代にはいるとほとんどすべて真逆になったことは驚きでした。80年代は金に糸目をつけず、最高の材料を集めて最高のものを作ることがよしとされた時代でしたが、90年代になると「清貧の時代」だと言われました。流行の雑誌などを読んで学生時代に漠然と思い描いていたような豊かな日本の未来は実際には存在しませんでした。右肩上がりに売り上げや給料が上がっていく時代も終わり、できるだけ人を減らし経費を1円でも減らすことが企業の課題になっていました。TVでは無駄をいかに排すか、いかに安いものを売るか、といった番組が90年代になると作られるようになりました。私も例外に漏れず、「牛丼戦争」などの番組を何回か作りました。すき家吉野家、神戸らんぷ亭などの牛丼安売り戦争を取材していたのです。1997年当時、400円だった牛丼を250円でキャンペーンし始めたのでした。しかし、その番組を作った後、私は不安を感じ始めました。このまま安売り合戦が加速すると恐ろしい事態になるのではないかと思えたのです。それは1997年の秋に、一軒のフグ料理の店を取材したのがきっかけでした。主は私と同じ年齢で、1980年代に料理の修業をし、最高の食材を使って最高の技術で最高の料理を作るのが常識だったのに、今は「イチキュッパ(1980円)でフグ料理のコースを出さないと客が取れなくなった」と嘆いていたのです。最高の食材で腕によりをかけた創作料理を自分の店でやるのが夢だった主は1980円で勝負しなくてはならなくなっていて、構想した料理は実現すらできず、経費節約で自ら店に何日も泊まり込みで働いていたのです。私は脳を強打されたような気がしました。安売り競争は文化全般にも大きな影響を与えていたのです。実際、デフレ、という言葉が世に出たのは1997年の秋のことでした。これは偶然ではなかったのです。この年、山一證券が倒産し、バブル経済は3年で回復できるどころか、「失われた10年」あるいは「失われた20年」に差しかかろうとしていることが露になったのです。

 本書を読むと、今度は電機メーカー群が敗戦したのですが、相手は米国のみならず、韓国や台湾なども含めたグローバル市場の中で、日本の立ち位置や世界の需要を正確につかむことができなくなっていた様子が見えてきます。日本の技術は世界一だから安心だ、世界に学ぶことはもうないといった間違った思い込みが日本の没落を生んでしまったのです。これはやはり最高のものを集めて最高のものを作れば必ず売れるというバブル時代の発想が根底にあるのかな、という気がしてきます。実は、その発想はかなり一定以上の年代には根強くあると思うのです。私などもそんな時代の空気を受けて青春時代を過ごした世代です。そして、著者はそれは第二次大戦時代の戦艦大和の発想だと批判的です。第二次大戦の敗戦の原因はすでに克服されたはず、と思いきや、著者たちによると、今も三度、同じ過ちを繰り返しているという分析に驚きました。