「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

ジャック・ル・ゴフ著 「欧州は中世に生まれたのか?」 Jacques Le Goff 「L'Europe est-elle née au Moyen-Âge ?」

  欧州連合の今日の政治を見ながら、欧州とはなんだろう?というも思います。ヨーロッパでもいろんな人が政治学や経済学、社会学など様々な視点で論じています。しかし、何と言っても一番面白いのは歴史学の視点で、とくにアナール学派でしょう。欧州が成立してきた歴史をたどるのが一番最短ですし、中でもジャック・ル・ゴフの中世に関する研究書の数々は欧州について考えを深める様々な洞察を含んでいます。本書で一番強烈だったのは15世紀ごろに大航海に乗り出し、植民地経営を始めるまでは欧州は黒死病が何度も襲い、人口が減り、生産が滞った衰亡の時代だったことです。むしろ中国の方が進んでいたのです。それが近代以後、大きく転換していきます。本書は近代の前夜までを扱っています。近代がどのように生まれてきたのか、それを中世に見ると、中世は単なる暗黒の時代ではなく、危機とカトリックの宗教原理主義の中でも大学が生まれ、都市が発展し、遅々としてはいたものの近代欧州の本当の芽が生まれていたことがわかります。要は、今、いろんなことが日本でも遅滞して、絶望的になる人もいるでしょうが、諦めずに続けることで必ず時代は変わる、という風に考えたいと思います。

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ジャック・ル・ゴフ著 「欧州は中世に生まれたのか?」 Jacques Le Goff 「L'Europe est-elle née au Moyen-Âge ?」

  ジャック・ル・ゴフと言えばフランスの歴史学者で、欧州の中世を専門にしています。いわゆるアナール学派で、王の系譜を縦にたどる歴史ではなく、それぞれの時代の文化や社会を庶民の生活の観点から記述していく学派です。たとえばル・ゴフは「煉獄の誕生」という本で人は死後どういう経路をたどるのか、その死後に関する考え方をキリスト教の中で探っています。煉獄とは人間が死後、天国へ行くか、地獄へ行くかがまだ決められていない間に「個人の死と最後の審判の中間」に位置する空間と考えられていました。この煉獄と言う概念が欧州人に定着するのが12世紀から13世紀とされます。ル・ゴフは「煉獄」という本を煉獄概念の形成を通して、中世欧州人の死生観や宗教観を思索し、ひいては中世人のこころを考えています。

  ル・ゴフにはおびただしい著書があり、日本でも少なからず翻訳されています。私は原書で読んだので勝手に「欧州は中世に生まれたのか?」と書名を訳していますが、書名から判断して、おそらく邦訳もされており、菅沼潤訳「ヨーロッパは中世に誕生したのか?」(藤原書店)に相当するのではないかと思われます。これは大変面白い一冊です。中世の面白さがいっぱいに詰まった本と言って過言ではありません。そして、テーマ別にQ&A的に書かれているため、どこから読んでもよいような気やすさがあり、読みやすい一冊でもあると思います。

  第二次安倍政権が発足して以後、日本では有志によって民主主義を生んだ欧州の近代思想をたどる試みが政治学や政治を専門としない一般の人々によってかつてなくなされてきたと思いますが、そのことで逆に中世を一律に暗黒の時代と切り捨ててしまう傾向もあったかもしれません。ル・ゴフの「欧州は中世に生まれたのか?」は4世紀から15世紀までを「中世」とくくっていまして、実に1000年近い時間がそこに含まれます。この中世の終わりが新大陸発見や啓蒙思想、近代科学の発展の時代にとって代わる時代であり、それを15世紀末としています。

  この中世は欧州人にとってはいわばキリスト教原理主義の時代ですが、「欧州は中世に生まれたのか?」ではそうした今から振り返れば一見の迷妄の中にあっても、中世は都市が発達し、大学が各地に生まれ、本が書かれて印刷術も生まれ「本の文明」が築かれたプロセスだとしています。その多くはキリスト教会の修道士とか宗教者などの当時の知的階層によって主になされてきたものであり、いわば後に否定されたり、批判されたりする基底の中に次代が孕まれていたことがわかってきます。ロックやルソーの登場でパッと民主主義が生まれたわけではなくて、それに至る長い地道な進化の歴史があったことがわかり、中世の想像以上の奥深さに気づかされるのです。さらにまた、キスが中世に生まれた風俗であることや、時計が町の中心に設置されたこと、十字軍、黒死病、トルコの脅威など、中世の歴史を見ると、近代の生まれた背景や社会が多面的に浮かび上がり、近代思想の勉強だけでは見えなかった背景が見えてくる気がします。