「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

アンドレ・コント=スポンヴィル著「ささやかながら、徳について」

  ソルボンヌ大学で教鞭をとっていた哲学教授のアンドレコント=スポンヴィル著「ささやかながら、徳について」はフランスで23万部を売り上げた話題の著ですが、この本は「徳」について、アリストテレススピノザモンテーニュプラトン、あるいはカント、さらにはシモーヌ・ヴェイユなどを引用しながら、私たちはをどう考え、どう生きたらよいか、語りかけたものです。礼儀正しさ、思慮深さ、心の広さ、正義、寛容、勇気、誠実さ、謙虚、優しさ、愛、ユーモア、同情など、それぞれの徳の価値を論じています。平易な文章に訳されてはいますが、中身は濃密で、かつ本もかなりヴォリュームがあります。本書はある意味で、倫理学の入門書であり、巻末の参考文献を活用すればブックガイドとして活用できるかと思います。

  私にとって、最もインパクトのあったのは正義の章で、そこでアンドレコント=スポンヴィルは「悪法も法なり」という国家の理屈に従って、悪法であると知っていながら、死刑を甘んじて受け入れたソクラテスを批判しています。それはコント=スポンヴィルが法律と正義を分けて考えているからに他なりません。もちろん、正義の徳の価値を法律の上に置いているのです。というのは法律は時代と場所によって変わりますし、ソクラテスの例のように悪法で正義の人の命が奪われるのはおかしいと言っているのです。「無実の者の生命を、不当な法や不当に適用された法のために犠牲にするのは正しいだろうか。」と問いかけます。

  ソクラテスのエピソードは長い間、私にとっても大きな圧力として感じられてきたことです。コント=スポンヴィルの考え方は、ナチスドイツが様々な法律を制定してユダヤ人を600万人も殺戮した歴史を踏まえたものだと思います。独裁者はいくらでも悪法を国会のチェックなしに制定できてしまいます。「悪法も法なり」ということになれば600万人の人々をガス室に送った人々も免罪されることになります。しかし、コント=スポンヴィルは法律よりも高位にある正義という価値(ここで言えば「徳」)を重視することを訴えています。

 私は学生時代に倫理社会という講義を受けたことがありますし、大学では法学部だったわけですが、そんなことを言う人は一人としていませんでした。悪法を批判する人はいても、悪法なら守らんでもいい、と言い切る人は私の周囲に一人もいなかったのです。私の母は子供の頃、「盗みをしたらお母さん、首を吊って自殺するから」と脅しました。私は盗みをしたことはありませんが、そんな脅しの言葉よりも、なぜ盗みがいけないのかを教えてくれた方が良かったのに、と感じます。たとえば抗ナチスレジスタンス活動ではナチスの兵器庫から兵器を「盗み出す」のは当たり前でしたが、盗みをしたら「自殺する」という風に頭に詰め込まれると、こうした行動自体もかなり葛藤に直面してしまうことでしょう。

  私の出入りしていたある通信会社は、ベトナム戦争時代に日本で唯一ハノイ支局を持っていた会社でしたが、ハノイ支局が撮影した貴重なベトナム戦争のネガフィルムは日本に送る過程で、少なくとも4回、米3大ネットワークの局員たちに「盗まれた」と聞きました。米3大ネットワークの制作者たちは報道の競争の激化で自分たちの映像を「独占取材」と銘打つためにライバルの映像を封印したり、自分たちが撮影できないものを掠奪してすぐに放送したりしていたわけですが、結局はこうした行動が米軍のベトナム撤退につながっていきました。法律では泥棒は罰せられるべきでしょうが、彼らは戦争を終結させたいと思っていたのかもしれません。ベトナム戦争の惨禍を報道することによって多くの命が救われたはずです。通信会社の当時の社長は「私たちには泥棒はとてもできない。やはり、アメリカのジャーナリストは違うと思った」そうです。そして、この社長さんは被害に繰り返しあいながらも、盗んだ米放送局を結局、訴えなかったと言っていました。