「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

アリストパネース作「女の平和」と現代の女性政治家

  日本の国会では女性議員の割合は衆院で10%、参院で20%と低迷しています。以下は内閣府男女共同参画局の資料(グラフ)です。この数字でも急増と言ってよいほどで、昭和時代は衆院で3%くらい、参院で5~6%くらいです。

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 女性がこれほど国会で発言力がないのは、政党政治が男に支配されているからに他なりません。つまり選挙区の顔がほぼ男で大半が埋められていることに基づきます。これが日本の職業政治の実態であります。政治家が職業である限り、家族や部下を養うために企業化すれば、企業が倒産しないためにも選挙区が女性候補に奪われることがあってはならない、という事情があるのでしょう。もしそうであれば男の政治家が国会議員を降りても飯が食えるバックアップ体制が必要です。それと同時に、勝てる女性候補を擁立する必要もあります。

   さらにもう1つ付け足すなら、新党を結成して出馬しようにも国会議員選挙なら一人当たり300万円~600万円もの資金を供託金として提出しないと選挙に出ることもできない、というハードルの高さもあります。一定以上の票が獲得できずに落選したら没収されてしまいます。こうした理由で、既存政党から出るのも難しければ、新党を作るのも難しいのが実態であり、そのことが女性議員を増やす時の足かせになっています。「世界を見渡せば、供託金の制度がある国は少数派だ。国立国会図書館によると、米国やフランス、ドイツ、イタリアなど大半の欧州諸国に制度そのものがない。英国(約六万二千円)、カナダ(約八万円)、韓国(約百五万円)も日本ほど高くはない。」(東京新聞 2012年)総じて、選挙に絡む規制が多すぎて、保守に有利になっています。

 では、なぜ私は男でありながら、女性の政治参加、国会でのパリテに期待するか。10年前に書いた原稿がありますので、もし関心のある方はお読みくださいましたら幸いです。私の基本思考は、今も変わりません。

 

「女の平和」   村上良太

 

  高校に入学したばかりの頃、古代ギリシアの喜劇作家・アリストパネースの戯曲を岩波文庫でいくつか読んだ。「女の平和」とか、「雲」とかだ。細かい筋はもう30年以上たつので思い出すことはできない。しかし、「女の平和」はギリシアが戦争ばかりしているので、その奥さんたちが男たちが戦争するのなら、もうセックスしません、と政治闘争を始める話だった。ウクライナフェミニストグループFEMENがおっぱいを披露しながら女性の自由や女性の政治参加を訴えているのを目にして、30年の歳月を経て、「女の平和」が思い出されたのである。

  この媒体に僕が書いた原稿の半数近くが女性の行動を書いたものではないか、と思う。これは女性の権利拡張を気取ったものだという意識はまったくない。そうではなく、今、女性が様々な分野で活動が目立ってきているのは男が没落していることに他ならない。とはいっても社会の権力は男が依然握っているのだろうが、女性の活躍が目立ってきていることには理由があると思えるのである。それは女性が生きるために男よりも努力していることだ。たとえば福島の女たちの座り込みもそうだろう。男の考える政治的プライオリティというものが、人類が生き残るうえでのプライオリティとは矛盾している。そのことがだんだんはっきり見えてきたのがこの冷戦終了後の20年に他ならないと僕には思われる。

  ソ連が崩壊したのは1991年だった。鮮明に覚えているのは東京・竹橋のとある新聞社の編集局で外信部のゲラが流れてくるのを最初に手にした瞬間である。その時、僕はもしかすると、生き残れるかもしれないと思った。もちろん米ソの全面核戦争からである。なんと大げさな・・・と思う人もいるかもしれない。しかし、10年もたてば10年前の人間の心性などは思い出せなくなってしまうものだ。たとえばパソコンがなかった時代の生活を僕らはすでに思い出すことができない。1991年、あの時僕はこれでもう人類が全面核戦争で絶滅しなくてすんだ、と思った。

  手塚治虫の漫画「火の鳥」は人類史を永遠の命を持つ火の鳥の目から見た物語である。古代の話もあれば、近未来の話もある。その1編では米ソの全面核戦争で地上は荒涼とした世界になっており、生き延びた人類は地下で暮らしている。それでもまだ互いに相手陣営を隙あれば滅ぼそうとしているのである。核戦争で人類が滅亡する、という光景は何度となく日本の漫画で僕らは頭に刷り込まれている。だから、少年時代からいつかは人類が滅亡するのだ、と思ってきた。何しろ、全部を発射したら人類が7回滅亡するほどの核兵器保有する時代に生まれてしまったのである。

  だから1991年にソ連が崩壊したと聞いて、イデオロギーとかは問題ではなく、単純に「これで生きられる」と僕は思ったのだった。それまでは21世紀はないものと思っていた。だから、1900年代が幕を閉じる除夜の鐘を聞いているとまるでSF世界にいるような気がした。

  しかし、あれから20年たっても、世界には相当量の核兵器が残存している。むしろ、核保有国は増える一方であり、さらに日本国内からも核武装せよ、という声が上がっている。20世紀ならとても声を出せなかっただろう。男の頭で戦略や国際政治を考えると、なぜこうなってしまうのだろうか。なぜ戦争は終わらないのだろうか。それは政治の中枢にいる男たちが子供を産まない性だからかもしれない、と僕には思えるのである。女たちは子育ても、食べることも、楽しむことも、総じて生きること全般に男以上に真剣に汗を流していると思う。

  こういう反論もあるだろう。女性の政治家にもひどいのはいるよ、と。だが、今、ここでは個別の政治家(女)の資質を論じているのではない。そうではなくて、女性が一般にプライオリティを置いているものと今、時代が必要としているものとがシンクロしているのではないか、と思えるのだ。食の安全、子育ての予算と環境、平和、医療と介護などである。それに対して男は権力闘争と組織の防衛にプライオリティを置いている。最初は平和や福祉や子育て環境などを重視すると公約をしていた政党も、いつしか権力闘争と組織防衛を優先してしまう。その延長線上に核兵器格差社会もある。そこで男たちは、僕も含めてだが、どうしようもなくずれてしまっていると思える。

アリストパネース「女の平和」
  昔はアリストファネスと言っていた記憶があるが、岩波文庫ではアリストパネースと表記されていた。