「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

「欲望という名の電車」の前段の劇をむしろ見たい

 米劇作家のテネシー・ウイリアムズの最高傑作は「ガラスの動物園」だと思っていますが、「欲望という名の電車」も名作として名高い戯曲です。私が小中学生の頃はテネシー・ウイリアムズの戯曲と言えば書店に必ず置かれていたものでした。「欲望という名の電車」は中年の未亡人が主人公で、彼女は富裕層の家柄の出。かつては学校の教師をしていたのですが、劇の始まりではわけありで、実家を出て、妹夫婦の家に同居させてもらっています。何があったのか、と言えば後で分かってくるのですが、10代の教え子を誘惑したためPTAから告発されて教師を続けられなくなり、その上、噂になって実家にもいられなくなったからでした。この劇はそんなスキャンダラスな過去を持ち、しかも居候ながらプライドは高い未亡人の姉と、肉体的な魅力ははちきれんばかりながら、極めて品のない義理の弟(つまり妹の夫)との確執が軸になります。

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テネシー・ウイリアムズ作「欲望という名の電車

 この劇は主人公である姉(ブランチ)の過去が大きな意味を持っています。実は以前は結婚していたのです。しかし、夫は同性愛者で、自殺したことが明かされます。そして彼女はそのショックから、何人もの男と行き釣りのセックスをしてきたことも明かされます。上品ぶっているけど、あんたも俺と同じだ、とばかりに最後には義理の弟にレイプされてしまいます。そして、狂気に陥り精神病院に入れられてしまうのです。

  いったい同性愛の夫とどんな関係だったのか。まずそこが何とも理解を越えて感じられたのを覚えています。知らないままに結婚したのだろうか?それとも知っていながら結婚したのだろうか。さらに、夫の自殺後の男遍歴はどういう心情からなのか。夫への贖罪か何かだったのだろうか?夫とのセックスはなかったのだろうか?セックスに飢えていたのだろうか?また学校の教え子の少年を誘惑するに至った心情は?再婚は考えなかったのか・・・などなど、「欲望という名の電車」の舞台よりも、むしろ彼女の過去の出来事の方が圧倒的にすごくて、想像を超えて感じられたものです。でももしかしたら、それはすごいことでもなんでもなくて、人間の実に当たり前の欲求に過ぎなかったことかもしれない・・・。いずれにしても、この過去がよく理解できないと、この劇の本質は理解できないと思えるのです。

  日本でも何度も舞台化されたと思いますが、このあたりはどのように演出されたのでしょうか。私の想像ですが、彼女の過去の話をリアルに理解しながら演出するのはなかなか困難だったのではないか、という気がします。戯曲のあとがきに書かれた解説が、<精神文明 V.S. 野蛮の対立>・・・みたいな漠然とした抽象論のレベルで書かれていたように記憶しているのです。いや、そうではないのではないか。彼女の過去をリアルに想像できる想像力がないとこの劇は上演することは不可能ではないのか?と思えます。

  その意味では、劇の始まる前のブランチのドラマを誰か書き下ろしてくれないか、と思うのです。テネシー・ウイリアムズは同性愛者だったことで知られていますが、「欲望という名の電車」をいったいどのような意図で書いたのか。なぜ彼女の過去をあのような形にしたのか、そこに何を描きたかったのか。そのことは今も何か私にはまだ知り得ない謎が大きいのです。巨匠に失礼かもしれないのですが、私は真のドラマは前段にあるのであり、この可視化された舞台はむしろみかんの皮みたいなものではないか、という気がします。つまり、テネシー・ウイリアムズは前段の劇をどうしても書くことができなくて、エスケープして、批評家をして<精神文明V.S.野蛮>みたいな言葉を語らせる模造品を作り上げることで、丸めてしまったのではないか、と。知的ながら、コンプレックスに満ち、性衝動に取りつかれたた女性の悲劇を描いた映画が「ピアニスト」ですが、この作品を監督したオーストリアミヒャエル・ハネケみたいな人がシナリオを書いたらどうだろうと思えます。