「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

TVとネット社会 異なるアピールの仕方

  私は長年、TVの仕事をしてきて、最近、活字やビデオ制作、インターネットのブログ、YouTubeチャンネルなどもやっています。でも、両者は結構異なっています。何がTV時代と最も違うかというと、TVは放送局が制作且つ発表の母体であり番組や放送局で視聴者が選んで見ているのに対して、活字やネットは基本的に制作の主体が個人であり、視聴者や読者はその人の人柄や作風で見るか見ないか、誰を見るかを選んでいます。つまり、例外もありますが一般論化すれば前者は組織的な世界、後者は個的な世界で動いています。そのため、TVから個的な世界へ仕事を広げようとすると、まず個を立てて行かないと注目してもらえません。もちろん、コツコツいいものを作り続けて信頼を得ることが最短の道ですが、そうであっても基本的に顔や名前が売れていないと作ったものも手に取ってもらえないのが現実です。

  ですから、割と大きな溝がそこにあります。その結果、TV時代に穏健だった人がネットや活字に移ると、大胆な発言をしたり、どぎつい作風になったりする可能性はあると思います。あえて炎上する人すらいます。みんながそうだとは思いませんが、そんな傾向はあるのではないでしょうか。そうした時にTV局がネットの拡大に対して、自身がネットを兼業しようとした時に何が起こるか、というと、TVに背を向けてネットに夢中になり始めた若者たちの嗜好にTVがどこまで食いついて行けるか、ということが考えられます。ネットの場合は先ほどの米国で最大の登録者数を持つYouTuberの場合のように、個的な才能に注目が向けられるからです。TVの場合は組織が主体であり、制作はチームワークであって個人個人のプレイヤーは黒子に徹して、「俺がこう作った」的な発言をメディアでする人はねたまれてしまうことが多いのです。TV番組を制作している人々がそうしたメンタリティを持続しているのでは、個が全開するネットとは実は大きな乖離が存在していて、一夜にしてはとても変われるものではないと思います。というのも、組織の性質が変わらなければ個が全開することなど不可能だからです。ネットでは自分の考えをクリアにしなければ注目してもらえませんが、TVにおいては黒子に徹して個的な考えはできる限り見せないことが良しとされる傾向が高いのです。個的な考えを述べていいのは制作者ではなく、出演者だけで、それも台本とか想定された構成に沿った発言が中心です。

 私は決してネットが上で、TVが下だと言いたいのではありません。単純に視聴者の見たいものが意外と違っている、ということを書いているのです。YouTuberもTVの演出から少なからず学習しているはずですが、最終的には自分の心情が勝負です。TVの場合はタレントを使う場合でも、きっちり台本を作り上げて共同作業で筋を決めています。やはり、似て非なるところがあります。安倍政権下で庶民のデモが起きた時もTVは基本的には距離を置いていましたし、スタッフも政治的発言はほとんどしていません。TVでは個的なことを述べるとバッシングされたり、干されたりするからでしょう。そういうメンタリティではネット社会に足を踏みいれるのは無理があります。要するに、若者たちは予定調和的なものに飽き飽きしているのでしょう。日本では政治であれ経済であれ肝心となる話し合いは国会や会議の場には出てこず、密室でパワーゲームで、少数で決められているのが実態です。ただ、TVの世界で私の知る中でネット社会が始まる以前からネット社会的な発想をするプロデューサー・ディレクターがいました。「報道のお春」と言われたTBSの吉永春子氏です。これについてはまた改めて書くチャンスがあるかもしれません。

   私自身はどちらかと言えばTVのメンタリティの方が向いていて、自分を見せるのが得意ではないですし、個的にもさしたる魅力に乏しいと思いますので、結構苦労しています。