「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

「DTP&印刷 スーパーしくみ事典」とは?

 最近、「DTP&印刷 スーパーしくみ事典」という大きな雑誌版的な本を買いました。というのはAobeのIn Designという本や雑誌の編集ソフトもPremiere Proという動画編集ソフトの一式と一緒に使用契約をしたためです。In Design の解説本を見ると、動画で活用しているソフトと重なるテクニックが少なくないため、動画をやる人が電子書籍を作ったりするようになるのではないか、という気がしていました。

 この本もそういう直感から興味本位で買ったものですが、まずDTPが何を意味しているのかわかりませんでしたが、本の中に解説がありました。DTP=Desk Top Publishingで、Adobeの編集ソフトが軸になっていますが、パソコン編集したもので印刷にかけるまでの過程をすべて作ってしまう、という方法を指し、過去30年に印刷物の主流になってきたと書かれています。本書は今どきの出版に関する情報を丸ごと詰め込んだと言えるような本です。

 私は世界を割と職業柄旅してきた方ではないかと思うのですが、日本の本や雑誌くらい丁寧に作られた美しいものはないと思っています。ものすごい美意識の高さで、美術工芸品的なものになっています。しかし、それは当然、本のコストにも反映してきます。今、出版業界が景気が悪く、出版社も企画の選択にはかなり慎重になっているのではないかと思います。そういう意味では、本のマテリアルな側面がコスト高になっていて、それが大量に売れることがないであろうけれども知的な意味で出版された方が良い本が世に出る機会がなくなっていく、という現象も増えてきている気がします。これは本末転倒ではないかと私には思えます。

 では100部とか、1000部でも世に出してみたいと思ったら、電子出版という手が一番身近にあるかもしれませんし、あるいは会員制あるいはネットで拠金して部数限定で作るという手もあるかもしれません。いずれにしても、こういう出版はプロフェッショナルな出版会社から、むしろ市民やアマチュア、あるいはNGOなどの手によって行われていくかもしれないのです。そういう意味では日本の電機産業が近年、韓国や台湾などに席巻されたようなガラパゴス化現象が出版の世界にもあてはまる、ということはないのでしょうか。商品の完成度が高すぎて、オーバースペックになってしまっている可能性もあるのです。今、世界で時々刻々と変化している中にあってごく一部のメガヒットしか翻訳されたり、出版されたりしないというのであれば、世界の先端の潮流から何年かタイムラグが生まれて、その間に大きな溝が生まれてしまいます。競争している国々は日本の弱点については隅々まで研究し尽くしているのです。その2~3年の時差は今日決定的です。

 と言っても私自身は美しい日本の出版物が好きですから決して日本の出版社をここで否定したいのではありません。ただ、そうした高度の技術とは別に、低コストで少部数でも活字を出していく道も作っていく必要があると思うのです。今存在する多くのブログなどからも編集をすれば本になって世に出るものはあると思います。そういう作業が出版や印刷のプロの手を経ずに、産直になっていく道も出てくるでしょう。これはYouTuberが放送局や制作会社を経ずに直接収入を得ているのと似ているかもしれません。一番大切なものは包装やデザインではなくて、アイデアである、ということですね。一度抽象化してみると、本はアイデアを載せる器であり、自動車は人や物を載せる器である、という風に欧米の人は多分考えていると思います。一級のプロたちの手でものが作られることは大切ですが、しかし、その条件が今の経済状況の中で生まれることなければ本は世に出ることができません。それなら少し本のスペックが下がってしまっても、あるいは贅沢な装丁でなくても、少々未熟な翻訳者の手によるものであっても、少なくともまずはともかく一度世に出す、ということが大切ではないかと私は思います。さらには国際交流が進むと、国境を越えた地域と地域同志で食や農の交流会とか技術交流会、あるいは国境を越えたカラオケ歌合戦などがもっと行われるでしょうが、そういう際に地域の民話のようなローカルな文化やローカルな作家の本、あるいはオクシタンやアイヌ語のようなローカル言語の詩やシャンソンや物語を市民で編集してイベントの際に300部とか1000部というような限定版で出していくことも出てくるのではないかと思います。そういう交流会やイベント、勉強会を手がける組織が新たな出版の担い手に育っていく可能性は現在のテクノロジーでは可能になりつつあります。

 グーテンベルク以来の出版の歴史を振り返ってみると、必ずしも今日の大量出版の仕組みが常識ではなかったはずです。そういう意味ではメディア全体が大きく変動している最中のように思えています。今の最高級品の本とは別に一歩二歩スペックが下がった本が出てきた場合に、その翻訳なり中身なりを査定して100点満点の70点とか60点とか、批評家が評価しておけば読み手もそれを参照して、リスクを理解したうえで買えると思います。ワインにもピンからキリまであって、一番安いワインでも飲みたい人はいるわけですから。もちろん単純な誤訳などは論外でしょう。