私が学生の頃はジャズがまだ流行していて、全盛期に比べると下火にはなっていたと思うのですが、それでもまだ勢いは残っていて、私もLPレコードを買ってよく聞いていました。大阪ではジャズマンが一堂に会した音楽祭「LIVE UNDER THE SKY」なども行われていましたし、ジャズ喫茶もあって時々入っていました。私は高校時代はブラスバンド部でチューバという金管楽器を演奏していたのですが、当時はとにかくいい音を吹くために毎日ロングトーンという音出し訓練をしていました。「音楽」になる以前の豊かな「音」のために何時間も日々、練習を繰り返していたのです。同じ楽器でも呼吸の仕方やアンブシュアというマウスピースへの唇の当て方などで音は大きく違ってきます。私の場合は低音楽器だったので、豊かで深い響きを出したいと思っていましたが、そんなに簡単ではありません。ジャズにおいてはクラシックよりも金管楽器の存在感がはるかに大きいので、よく聞いていました。でも、ジャズでチューバが使われるのはニューオーリンズなどの古典的なジャズで、モダンジャズの場合はコントラバスで置き換えられています。私は何かにはまると熱中してしまう方で、高校のブラスバンド部だけでなく、茨木市の吹奏楽団にも入って演奏するようになりました。勉強そっちのけで毎日、音楽浸りです。通学で使う自転車の後ろの荷台に大きなチューバをケースごと括りつけて移動していました。
1989年に上京して後、東京ドームにジャズマンたちのライブがあるということで友人の誘いで出かけました。その時、来日予定の一人が大物のトランぺッターのマイルス・デイビスでした。マイルス・デイビスは帝王などと呼ばれていましたが、生演奏を聞くのは初めてと少し興奮して出かけました。マイルスが登場する段になった時、スタジアムにゆっくりと歩いて入ってきて、1曲演奏しました。すると、マイルスはまたゆっくり帰っていってしまったのです。まさか、あの一瞬のためにアメリカからやってきたのでしょうか?実はその時の演奏の音は全然、記憶に残っていません。
連休中に私は昔聞いたCDを引っ張り出して久々に聞いてみました。上のCDですが、今聞いても素晴らしい演奏です。その素晴らしさは自由に歌っている、というところでしょう。自分の声色で、鳥たちが話をしているかのようです。哲学や法律などをやっていると論理漬けになりがちですが、ジャズは音楽であり、そうした理屈とは対極にあります。そこが解毒作用を持ち、純粋に面白く感じられるのでしょう。さらに言えば、時間を金に換える社会化が進行すると、ジャズのように時間を無意味的に過ごす、という贅沢な時間がだんだん失われていくかのうような気がします。マイルス・デイビスが一曲演奏して帰っていったのは今も私はとても悲しいです。