戦後に無頼派などと呼ばれた作家の代表的な一人が坂口安吾ですが、坂口安吾はエッセイの中で、学生時代に語学を勉強したことがノイローゼ予防に効いたと書いています。坂口安吾は哲学の勉強をしていて、頭が狂うほどモノを考えたためにノイローゼ気味になったことがあるそうです。そんな時、古代のインド哲学の勉強で語学をやったことが思いがけず、精神の健康の維持につながったと言っています。その理由は語学も頭を勿論使いますが、哲学のように果てしなく脳を酷使することもなければ、回答が得られるかどうか未知数、ということもありません。語学、すなわち誰かが発信した言葉は必ず、解読できるものなのです、よほど前衛的かつ詩的な表現でなければ。そして、熱中していれば不安も忘れることができるのです。
もう1つは語学はやればやるほど実利につながる、すなわち語学力で飯を食うことも可能になるわけで、経済的なプラス効果が精神安定に大いに役立つ、というわけです。もう一度安吾が言っていたことをまとめると、
① 語学での脳の使い方は健全である
② 語学は生活の足しになる
ということで、そこから、ノイローゼ予防になるというわけです。
実際、語学は最良のパズルと言ってもよく、暇人にとっては語学は遊びになります。また、安吾が書いているように一定の力がついてくると、語学を生計に役立てる道も開けてきます。
もう1つ私なりに付け加えれば、安吾の①と重なるかもしれませんが、語学に没頭することで浮世の悩みを忘れて、外国人のモノの考え方に一時でも身を委ねてみることができます。たとえばハリウッド映画を見れば、リズムがよく、快活さや前向きさがあります。そして、今、抱えている悩みをどうとらえるかについて、違った視点から光を当てる機会になります。精神的に追い詰められる時と言うのはどんどん視野狭窄に陥る時です。語学は自己の狭い精神の外へ意識的に飛び出してみる営みです。ラブレーの翻訳者で、フランスルネサンスが専門だった仏文学者の渡辺一夫は戦争反対など唱えようものなら非国民呼ばわりされた戦時中、こつこつラブレーを翻訳していたと聞いています。ラブレーの「ガルガンチュア」や「パンタグリュエル」などは奇想天外な笑いの世界であり、その世界に翻訳を通して没入することで狂気の全体主義社会から距離を置くことができ、精神の健康を保っていたのでしょう。昭和の戦前と戦時を振り返ると、全体主義に侵された国の中で個人ができることは限られていたはずです。