「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

作家ジャン=フィリップ・トゥーサンの復帰

 ベルギー出身でフランスで活躍してきたジャン=フィリップ・トゥーサンの短編が「すばる」6月号で掲載されていることを知りました。翻訳はトゥーサンの翻訳ではおなじみの野崎歓氏によるものです。トゥーサンは「浴室」という風変わりな小説でデビューし、世界的に人気を博しました。私はまだすばるで翻訳された最新のこの小説を読んでいないので中身についてここで語ることはできません。

f:id:seven-ate-nine:20210515153348j:plain
 「浴室」の邦訳が出たのは1980年代半ばでしたが、当時の若者たちは政治や経済、あるいは社会からも距離を置く「しらけ世代」と呼ばれていました。detachementという言葉がありますが、しらけ世代の核心は物事に熱くなってのめり込むのではなく、「距離を置く」という心的態度です。背景には~フランスの事情はよくわかりませんが~日本では69年の学園紛争の後に引き続き起きていた内ゲバなどの後味の悪さがあったのではないかと思います。学園紛争の後、都市の中心に密集していた大学は各地に散在することになり、大学でも60年代当時学生たちに競って読まれたような本の多くはあまり読まれなくなっていきました。シラケ世代の学生はデモなどの政治運動にも非積極的です。「浴室」の主人公の若者も、彼女がいるにも関わらず浴槽に引きこもりがちです。でも距離を置きながらも問題から逃避することはできませんので、その葛藤がユーモアタッチで描かれます。シラケ世代のこうした観照的な性質は政治の時代が復活したと言える2010年代とは大きく乖離しているように思われます。

  トゥーサンは「浴室」のあとも「カメラ」や「逃げる」「愛しあう」など作家として成熟を増していくのですが、残念ながらここ数年、トゥーサンは日本ではなかなか紹介されなくなっていました。過去の時代の作家という風に思われてしまったのでしょうか。けれども彼はその後も創作論や小説などをフランスではコツコツ書き続けていました。若くして大きなデビューをした人は成熟する時にデビュー時の成功の殻を抜け出すのは容易ではないことも多々あるのでしょうが、トゥーサンも努力をしながら発展してきた作家です。

 その意味でもトゥーサンの復帰が悦ばしく思われます。政治の季節を経たしらけ世代にとっては単に学生時代の空気を反復するのではなく、どう深めて行けるのかが課題だと思います。逃避で一生を終えるのか、反転するのか。トゥーサンの小説にヒントがあるのではなかろうか、と期待します。私はトゥーサンの最も面白いところは、いささか常識的でしょうが、その人間観察にあると思います。人間を観察する時に、トゥーサンはイデオロギーで人を見てはいないように感じられます。右とか左、という基準で描き分けるのではなく、そうした情報から距離を置いて、人間の振る舞いを見つめている、というところに私はトゥーサンへの魅力を感じます。