思春期から青春時代にかけて読んだ本は人生に大きな影響を与えるものです。私の場合も様々な本から影響を受けてきました。本からだけでなく、私は人の話からも影響を受けやすく、社会に出てからは様々な先輩たち(時には、そして最近では後輩たち)からずいぶん学ばせて頂きました。コンビニでアルバイトをしていた一時期は、私の娘くらいの年齢の大学生から、たくさん教わりました。何を教わったかと言うと、仕事をするときに、同僚のために少しでもその人が仕事がしやすいように工夫する、あるいは作業が終わって<はい、さよなら>じゃなくて、次の人のための配慮を丁寧にする、というようなことでした。どうしてこんなに若くして、そんな配慮のできる人間になれるのだろう、私は50代の半ばなのに、こんなことすら理解できていなかったんだなあ、とよく思わされたものでした。
高校生時代に読んだ本の中で今に至るまで大きな影響を受けた一冊がエーリッヒ・フロム著「自由からの逃走」です。この本は1930年代にドイツでなぜナチズムがあれほどにも人々の心をとらえたのかを社会心理学の面から分析したものです。本書のキーワードとして出てくるのが「権威主義的性格」です。要するに、自分より権力を持つ人間には徹底的に従い、権力の弱い「下位」の人間に対しては徹底的に横暴になるというタイプの性格類型です。当時のドイツにはこういう性格類型の人間が多く、彼らがナチズムを台頭させたのだというのはフロムの指摘でした。
上に対してへつらう人は下に対しては傲慢に振舞う、この2つは常にセットになっているものです。要するにそれは人間世界の序列に忠実にあることで、安心感を得るタイプのメンタリティであることを意味します。人間の世界は権力構造である、それ以外の世界はないと考えれば、そういう振る舞いも当然ということになるでしょう。
自分で考えるということは情報を自分で探して、不安の中から手探りで生きなくてはなりませんが、権威主義的性格の人間は社会の主流派に常に順応して、権力者に従順に生きていれば安心していられるのです。みんなと一緒に振舞いたい。みんなが「いいね」と言ったら自分も「いいね」と言いたい。このような安心感を持ちたい、という願望は20世紀の資本主義の世界では渇望とすら言えるものでした。というのは1929年の大恐慌で顕著になったように、世界経済がつながった結果、一人一人の身の丈的な事情は大海に浮かぶ木の葉くらいにはかない存在になってしまったからです。自分の努力とは無縁に、市場のちょっとした変動で簡単に解雇されたり、ローンが払えなくなってしまったりしてしまう。非正規雇用が4割を超える今、日本にもどんなことでもしても安定したいと思う人は少なくありません。本来は非正規雇用はフリーランサー=自由であったはずなのに、気がつくと貧乏とか、底辺と言ったニュアンスになっています。
自由を生きるのは意外と人間にとって難しい、と言うのがフロムの論です。思っていたほど自由に生きるのは楽ではない。高校生の時、この本を読んで強い衝撃を受けました。しかし、一方で、人間は社会的動物である以上、どんなに自由になり得ても社会から切り離されて荒野で生きているわけではありません。社会から見放されたら死ぬしかないのです。その意味で、自由に生きる、ということは、たとえ権力構造の網目から逃れられたとしても、社会から逃れることはできないのです。そういう意味では時代時代で、自由という言葉の内実を作り上げていく努力が欠かせません。
いじめが学校に定着して長い時代が経ちますが、フロムの「自由からの逃走」をもっと読んだらどうかと私は思います。学校の先生たちはこの本を読んだことがあるのでしょうか? 権威主義的性格の人間たちが作り上げる社会が最終的にどのような結果を生んだのか、歴史から学べるはずです。