「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

クロード・レヴィ=ストロースと文化人類学をもう一度

 クロード・レヴィ=ストロースと言えばフランスの文化人類学者の大物で、人によっては構造主義の四天王の一人などとも呼んでいます。著書に「悲しき熱帯」や「野生の思考」「構造人類学」「人種と歴史」などがあります。文化人類学者がどのようにフランスや世界の知の世界に大きなインパクトを与えたかは多くの専門家の本が書かれていますから、関心を持たれた方はひも解いてみてください。こういう私自身、今、本を原書と日本語訳で併読しつつ、勉強中です。私はフランス語を多少活用しつつ、取材活動もしていますが、この方面は報道的な意味では充実感があるのですが、ほとんど金にはなりません。それでもフランスの知識人や哲学者と知り合いになれるという役得があります。パリのクロード・レヴィ=ストロースの第一線の研究家も私の友人です。そういうわけで、本の中でよくわからない箇所があると、直接、最高の情報が得られるわけです。

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ブラジルの調査探検を核にしたクロード・レヴィ=ストロース著「悲しき熱帯」

  では、文化人類学とどうかかわるのか?以前、民放のある番組の中で日本企業のアジアの途上国への駐在員が日本製のお菓子を現地に売り込むために、子供に小分けした商品を無料でサンプル的に配っているシーンを見たことがありました。企業の営業活動という意味では当たり前の行動です。でもその時、私はある痛みを感じたのを覚えています。その駐在員は工場生産された日本製の洗練されたお菓子を将来、多くの人が食べることは文化的な進歩だと素朴に信じているわけです。でも、もしかしたら、その行為が地元の素朴なお菓子を席巻して、それが消えてしまう原因を作っているかもしれないのです。こう考えるのはオーバーかもしれませんが、「進歩」を売り込む人は、どこかで自分の行動が本当に良いことなのか、一瞬でも疑ってみる機会を持つことが大切ではないかと思っています。私はその駐在員を否定したいのではないのです。しかし、その疑いを持たなくなってしまったら、私たちは傲慢になってしまうかもしれないのです。このことは哲学では「近代」や「啓蒙」につきまとう問題として研究されているテーマです。

 そういうことを思った時に、文化人類学は私たちの思考上のヒントになりえます。とくにグローバリゼーションの進む今日、私たちは間違いを犯す可能性が20世紀よりはるかに増えています。米国が同時多発テロ以後、20年かかってもアフガニスタンの平和的統治が実現できなかったことをしっかりと考えてみる必要があります。今年の9月11日にあれから20周年を記念する形で米軍の最終撤退の完了をバイデン大統領は提唱してます。<20年かけて実現できなかったものは今後何年延長してもできない>、とバイデン大統領は述べています。思い出してみると、第二次大戦後に米国が日本統治をした時は今日の中東とは信じられないくらい違い、実に平和的な統治に成功しました。その背後には文化人類学者が戦時中から多数動員されて、日本人の歴史や文化、メンタリティを徹底研究していた歴史があります。暗号解読などの戦時中の対日工作活動だけでなく、占領統治に向けて日本語のできる若者をたくさん米国家戦略として育成していました。ルース・ベネディクトの「菊と刀」という名著もその作業から生まれた一冊です。戦時中、日本政府は「鬼畜米英」という言葉を使って、米軍に占領されたら女性はみんなレイプされるなどという噂も拡散されていました。しかし、実際に進駐した米軍は~確かに傲慢さやレイプ事件もあったのですが~それでも進駐軍の全体から見ると、戦時中に宣伝されていたような軍隊ではないことがわかってきたのです。そして、米国はジャズや映画、野球などを使って、日本人の心を魅了する文化的戦略を活用していきます。

 しかし、2001年に戦争を始めた米国にはそうした中東地域の文化的研究もなければ、戦後の青写真もなかったんです。個々に詳しい人はいたでしょうが、それを国家として予算を組んで、組織的に活用してはいなかったのだと思います。だから常にアフガニスタンでもイラクでも場当たり的な方針を押し付け、軍事力だけで統治してきたから被占領国をまとめることはできなかったのです。イスラム急進主義ではない、国民の大多数が米国の占領統治を前向きに受け止めていれば違った歴史が生まれた可能性があったのではないかと私は思います。彼らがまとまれば大きな違いがあったと思うのです。しかし、米軍に表向きは一見協力しつつ、裏でイスラム主義とつながっているという勢力や町はたくさんあるのではないでしょうか。要するに地元の人々が幅広く米軍に協力できる文化的戦略がなかったということに尽きるでしょうし、それなくして安易に攻め込むべきではなかったのです。特にスンニ派シーア派や地元の多様な勢力の間を結ぶためには、同調性が高くてまとめやすい日本人に対する文化戦略よりもはるかにハイレベルの文化的戦略が必要だったのです。

 いや、2001年9月11日のテロが起きた時点で、様々な文化的摩擦がすでに10年くらいをかけて深く進行していました。特に1991年の湾岸戦争が大きな分岐点となったのだと思います。あるいは1979年のソ連軍のアフガン侵攻に対抗する米国の軍事支援の始まりから。

 長々と書きましたが、何が言いたいかというと、今はすっかり後退してしまったかに見える文化人類学の大切さがこれから、きっと再認識され始めるという私の予感です。それは1989年のベルリンの壁の崩壊および1991年のソ連崩壊以後の冷戦終結後の歴史の再構築という意味においてです。この30年の歩みは全部否定すべきものではなかったと思いますが、一方で格差が拡大したり、環境が壊されたりしました。その反省をしていくに際して、文化人類学の視点が生きてくるのだと私は信じています。今日、米国でも欧州でも大きな課題になっている移民や難民の問題の解決にも、異文化や異人種の人間の理解という見地から、必ず有効な視点やヒントを提供できるはずです。