フランス映画「夜ごとの美女」(1952 ) と言えば名優ジェラール・フィリップが毎晩、夢の中で絶世の美女たちに出会う、不思議な現代の快作です。美女たちは毎晩、日替わり。こんな贅沢な仕掛けもありません。
音楽の非常勤講師をしながら夜ごとオペラを書いているのが主人公ですが、住んでいるアパートの周りにいる美女たちが、毎晩、時代を遡りながら、当時のファッションに身を包んで彼を誘うのです。カフェのオーナー夫人や、自動車修理工場の社長の娘や、家庭教師先の子供の母親。
この映画を独特なものにしているのは、夜ごとに時代が遡っていくことです。19世紀末、アルジェリアを植民地化した19世紀前半、1789年の革命、さらにルイ14世の時代もあります。そして、さらにまだどんどん遡っていくのです。
過去の時代に出てくる美女たちとはいかに愛しあったとしても、どうしても結婚することができません。国同士で敵味方あるいは植民地を持つ側とされる側であったり、貴族と平民だったり、それぞれの時代ゆえの男女を縛る規則に邪魔されて恋が成就できないのです。夜ごとに歴史の世界を旅するこの作曲家は世界史を題材にした壮大なオペラを書いていたのでした。だから想像力が逞しくなりすぎて、こんな夢を見てしまうのです。
そんな主人公は、ある時、ふと自動車修理工場の娘が夢に出てきた貴族の娘にそっくりであることに気づくのです。夢の中でギロチンを前に今度会ったら今度こそは結婚しようと彼女に誓ったのを思い出します。修理工場の娘に彼は愛の喜びを見つけ、彼女にもまた愛されていたことに初めて気がつきます。この映画は差別的な身分制度や植民地のない世界の喜びを逆説的に描いているのです。男女が自由に愛しあえることの素晴らしさです。
現代で言えばスピルバーグを先取りしたような作品。今見てもぜんぜん古びて見えません。確かに特撮は素朴ですが、ドラマとして出来が良いです。監督はフランス映画全盛期の4大巨匠の一人、ルネ・クレール。彼は「パリの屋根の下」や「自由を我らに」などを監督していますが、常に若々しい前衛的な姿勢を持っていました。
100年近い昔の下の写真(1924年)を見ても、他の人々が古風に見えるのに黒サングラスのクレールだけは今、ニューヨークにいても全然違和感がない若者に見えます。クレールの映画には常に人間性に対する強い信頼が根底にあります。私の大好きな監督です。