この春、立ち上げましたYouTubeチャンネル「フランスを読む」がようやく10回目、2ケタになりました。今回はフィリップ・フォレストの「さりながら」を翻訳者でもある澤田直教授(立教大学文学部)に語っていただきました。とても興味深いお話です。
フォレストは幼い娘を癌で失って、その悲しみから抜け出すことができず、それを昇華できたのは初めて小説を書いてみる、という営みでした。文学については前衛作品についての評論的活動をしていたフォレストですが、娘を失った自分の心を見つめる作品にトライしたものが「永遠の子ども」という小説で、「さりながら」はその後継的作目になります。「さりながら」は原書も「Sarinagara」となっていて、小説では日本滞在の経験の合間に、一茶、漱石、山端庸介(報道写真家) についてのエピソードが挿入されます。子供を失った一茶の句に感銘を受けて、フォレストは日本の文学を真剣に学びに来たんですね。
澤田教授はサルトルの研究で知られており、哲学博士なのですが、なぜ小説の翻訳をするのか?しかも、フォレストの他の小説も次々と翻訳されているんですね。澤田教授に哲学と文学が澤田教授の中でどうつながっているかお聞きしたところ、サルトル自身が小説家でもあったように、サルトルは哲学と文学の間を往来した哲学者だった、ということで、澤田教授自身も文学についても関心を持ってこられた、ということでした。私は若い頃、大学に入学する前にサルトルの本を多数読んだものですから、澤田教授にお話をお聞きしたのも何かの縁かな、と思います。「とにかく『フランスを読む』は100回目までは続けましょうよ」と背中を押していただきました。