「ニュースの三角測量」

ニュースを日英仏の3つの言語圏の新聞・ラジオ・TVから読んでいきます。アジア、欧州、アメリカの3つの地点から情報を得て突き合わせて読むことで、世界で起きていることを立体的かつ客観的に把握できるようになります。それは世界の先行きを知ることにもつながると思っています。時々、関連する本や映画などについても書きます。

不幸の源泉としての言語

  毎日、英単語に仏単語それぞれ20くらい覚えています。ある意味、年を取ったらどのくらい語学の勉強ができるのか、という通説に挑戦しているような毎日。でも皮肉なことなのですが、言語を持ってしまったことが人間の幸せにつながっているのかどうか疑問に思うこともあるのです。

  以前、「極短小説」(新潮文庫)というショートショートの中でももっとも短い単語数(最大55の英単語)で物語を作るアメリカのコンクールで出版された作品集を読んでいて、興味深かったのはこんな話でした。飼い犬に主が人間の言葉を教えるうちに、少しずつ犬が言葉が話せるようになってきます。すると、ある日、犬は飼い主に犬と人間の序列をやめて、首にロープをつけるのを撤廃してほしいと要求。しかし、飼い主がそれを渋ったところ、犬は以後、二度と人間の言語を話すのをやめた・・・・

  この話はペットを持っている人々には不安な物語ではないでしょうか?少なくともペットがペットとして成り立つのは動物たちが飼い主に「宿題はやっているのか?」「息が臭い」「最近、太って来たぞ」などと言わないからに他なりません。動物が心の底で何を考えているのか、それを言葉にしてみると、どんなメッセージがあるかわかりません。

  ゴリラを研究してきた山極寿一教授(京都大学)が作家の小川洋子氏との対談で、人間が犯した誤りは時間を一緒に過ごすことを、「メッセージ」で置き換えるようになったことだと言っています。30年前、40年前だったら、Eメールというものは存在しませんでした。書いてメッセージを送ろうと思うと、手紙やはがきに書いて郵便ポストに投函して何日か後に先方に届いて、その返信が来るのはさらに何日か後という時間軸だったので、多くの場合は電話や直接会って話すのが中心でしたし、会ったけれど結局、何も話さなかったということもしばしばありました。つまり、インターネットが主流になる前の社会ではメッセージの送信よりも、一緒に時間を共有することの方が多かったのです。その意味ではゴリラに近かったのです。ゴリラにとってはメッセージが大切なのではなく、そこで一緒に一定時間を過ごすことの方がはるかに大切だったというのです。このことはペットの動物たちが私たち人間に教えてくれる最大の事柄ではないかと私は思います。言語のメッセージではなく、むしろ肌のぬくもりであったり、手触りであったりというような非言語のふれあいの感覚なのです。