シモーヌ・ド・ボーヴォワールと言えばフランスの女性知識人で、サルトルの恋人でもあり、フェミニズム運動の旗手でもあった人です。その立派な女性の後ろ姿の裸を偶然、私はSNSで見てしまいました。シャワーの後らしく浴室で向こうを向いていて、お尻も背中も全部写っています。「これはいったい・・・」と少しショックを覚えたのですが、そもそも本物なのだろうか?と思いました。もし本物だとしたら、これを撮影したという写真家のアート・シェイ(Art Shay)なる人物は実在するのろうか・・・・インターネットでは別れた恋人が復讐のために元恋人の裸体をネットに放出する、ということが話題になります。しかし、その写真は、もうすでにボーヴォワールも亡くなっていますし・・・などと思いながら、アート・シェイを検索したら、アメリカの有名な写真家ではありませんか。
その写真はボーヴォワールが39歳の時のものだとSNSには書かれていましたが、当時ボーヴォワールが渡米して、シカゴ在住の作家、ネルソン・オルグレンと恋人関係にあった時らしいのです。ニューヨークタイムズにはアート・シェイの追悼記事も出ていて(かなり著名な写真家だったのですね)、ウィキペディアでもボーヴォワールの裸を後ろから撮影したことは有名な史実になっていました。
ボーヴォワールはサルトルと終生結婚せず、自由恋愛を貫いたのですが、自由な生き方を貫いたという意味では、この1枚の写真もまた、黴臭く博物館入りさせられそうなボーヴォワールという存在にある種の艶めかしさと華を添えているように思われました。ボーヴォワールより10歳若かったというシェイが、いつも浴室をあけっぱなしにしているボーヴォワールを写真に撮影した時、「カシャッ」という音に気づいたボーヴォワールはシェイに「こらっ」みたいな、ちょっとおどけた叱りの言葉をかけたそうです。そのエピソードを読むと、たとえ当時、オルグレンの恋人だったとしても、この時はシェイと関係していたのではなかろうか、という風に私には思えてなりませんでした。シェイが写真家でその頃、オルグレンと仕事で付き合いがあったとして、そこがもしオルグレンの部屋であれば、こういうシチュエーションはちょっと考えづらい。オルグレンがその時どこかにいたとしたら、こういう風にはならなかったのではなかろうか。恋人の尻を写させなかったでしょう。叩き出された可能性が高いと思います。
ネルソン・オルグレン作「朝はもう来ない」
ひょんなことから、ネルソン・オルグレンに再会しました。大学生の頃、私が愛読した作家です。その頃のオルグレンはもういいお爺さんでしたが、若い頃の写真をこうして見るとボーヴォワールが恋に落ちるのも無理からぬ気がします。作家としても独創的かつシカゴの市井の人々の人生を温かい目で哀愁に富んだ筆致で描いています。いい作家です。そういえば、パリでもボーヴォワールはサルトルとともに「現代」誌を編集していたジャーナリストのクロード・ランズマンと三角関係にあったことを思い出しました。アート・シェイはどんな関係だったのだろう・・・と今更どうでもいいことかもしれませんが、思ってしまいました。