米軍を撤退させている最中、カブールの空港周辺で米軍を標的とした爆弾テロが発生し、米国人13人、アフガニスタンの市民60人が死亡しました。これを受けてバイデン大統領はいずれ報復するとTVで宣言したとされます。反抗はイスラム国(ISIS)のアフガン国内組織とされています。
この事態は十分に起こりうると思っていました。米軍が撤退できないような仕掛けを撤退期日完了前に起こして、葛藤に陥れる、というのはテロリスト側は考えそうなシナリオです。テロ組織以外にも、米国をもっと戦争に関与させて、経済的にも政治的にも衰退させたいと考える国家は複数存在すると思います。
アフガニスタンとイラクに米軍が関与して以来、米国は経済的にも衰え、中国に追いつかれる原因となりました。米軍は今、東アジアで戦争準備をしていますから、できるだけ米軍を中東にピン止めしておきたいと考える国家は存在しえます。仮にバイデン大統領が再度派兵することがなかったとしても、テロ事件で支持率は下がるでしょう。まさに、9・11の首謀者であるオサマ・ビン・ラディンの思い通りになっています。そして、米軍は軍費のつけをいずれ日本人に工面してもらう、ということになるでしょう。
「チャーリー・ウイルソンの戦争」という映画は、1979年にアフガニスタンに侵攻したソ連軍を苦しめるために、米民主党議員のチャーリー・ウイルソンが中心になって法案を可決させ、米国がイスラム戦士にロケット弾や銃などの武器をイスラエル経由で送ったり訓練したりする話でした。米国は1973年にベトナム戦争から撤退し、経済も疲弊していましたが、ソ連にも「ベトナムを味わわせよう」というのが、イスラム戦士との持久戦にソ連軍を引き込む計画でした。この戦略は功を奏し、ソ連はゴルバチョフ書記長のもと、1989年にアフガニスタンから撤退しました。アフガニスタンは確かに「第二のベトナム」と化し、徴兵されて戦ったソ連の若者たちは、何のための戦争なのか理解できず、苦悶した人が少なくなかったのです。自分たちを戦場に送り込んでいる党幹部たちは裕福な暮らしをしていて、若い兵士たちはアフガニスタンでは極度に貧しい住民を殺していたのですからソ連というシステムに根本的な疑問を持つ若者が何十万人という単位で生まれました。このことはソ連崩壊の引き金にもなっていきます。しかし、皮肉にも、米国はその教訓から学ぶことなく、自身の力を過信したのか、ソ連同様に疲弊していくことになりました。なぜ米国人にそれが予想できなかったのか不思議でなりません。