今回のロシアのウクライナ侵攻は、ロシアのアグレッシブなところが目に付くのですが、実際にはNATO側のアグレッシブな東進政策がそれを引き起こしたのだとアメリカの政治学者や欧州の知識人は正確に理解しています。NATOの偽善が存在しているというのです。そして、NATO軍が今後どう出るかわかりませんが、似ているのは第一次大戦ではないでしょうか。世界史をひも解けば汎スラブ主義や汎ゲルマン主義みたいな民族主義が戦争の火種であったバルカン半島で拮抗しており、そこに火がつけられてしまったのです。今回も民族主義が背景に存在しており、一触即発になっている所に火がついてしまったのです。
欧州連合(EU)は冷戦終結後、東に向かってかつてのソ連の衛星国家群を併合するように現在のロシアとの国境に向かっていきました。これがロシアの安全保障に危機感を与えて、緩衝地域をロシアは要求していたのです。しかし、NATOはそれをのみませんでした。実は、このEU入りした旧ソ連の衛星国家群は、冷戦終結後、フランスやドイツの工場が次々と安い労働者をもとめて移転した場所にあり、フランスやドイツの内部では排外主義を培って極右勢力の台頭の源となっています。西欧の大企業経営者にとっては、労組の要求を呑むよりは東欧に工場を移転して生産をした方が安上がりだったのです。国内工場の空洞化をしり目に、フランスの経営者もドイツの経営者も利益を得ました。また、工場移転をちらつかせることで国内労働者の待遇切り下げも可能になったのです。これは冷戦終結後に西欧で起きた顕著な現象です。旧社会主義国家群への市場の拡大に加えて、工場移転による生産コストの切り下げで経営陣や投資家は利益を得た反面、もともと工場の存在した西欧諸国の労働者の待遇は劣化し、さらに非正規労働者が増えていきました。こうしたことによる怒りは、たとえばフランスでは「黄色いベスト」のような運動になって表れていますし、一方では反EUの極右政党が支持者を急増させています。
また、ポーランドやチェコ、ハンガリーなど中東欧諸国に目を向けると、キリスト教原理主義的な極右勢力が政権を奪い、あるいは国会で台頭し、EUの民主主義とは異なる政策を行っています。
NATOの東進は西欧においては国内の格差の拡大と民族主義、ナショナリズムの台頭を招き、中東欧においてもキリスト教原理主義政権を生んでいるのです。EUは資本主義がベースにあり、全域を市場型民主主義の形にしようとしていますが、それが各国の民族文化と確執を生んでいて、さらにそこにEUの労働者の越境を可能にする制度的枠組みが火種となっています。異文化の、異人種の、異教徒の労働者を排斥したい、という思いが各国の極右支持者にありますが、特に近年中東欧諸国で顕著になっています。
このことがEU統合上の危機を招いています。たとえばハンガリーの極右のビクトル・オルバン政権です。民主主義とは程遠い政権ですが、EUは宥和政策を取り続けてきました。EUは冷戦終結後、民主国家のチェーン店のように加盟国を増やして東方に拡大してきたわけですが、民主主義が伸張しているかと言うと、疑問の余地があるのです。むしろ、西欧民主主義の根源的な価値、たとえば政教分離が実現するかどうかは不透明です。フランス国内ですら、「フランスはキリスト教文化の国である」という極右勢力が伸びてきています。以下のドイツのDWの記事は、極右・国民連合のマリーヌ・ルペン党首が昨年、ハンガリーのオルバン首相を訪問した時の写真です。中東欧諸国の極右政治家たちは、EUからの投資は欲しいが、支配されたくない、というのが本音でしょう。特に、彼らはイスラム教徒の流入と増加に警戒しています。つまり、EUの東方拡大はEUのコアとなる価値観を侵食しているのです。
ウクライナはEU入りしてこそいませんが、反ロシアの勢力の中には反ユダヤ主義や白人至上主義の極右勢力が存在しています。私はスラブ民族への嫌悪感は西欧全域に存在しているのではないかと思います。
ウクライナの事態を単純に白黒つけるなら侵攻したロシアが悪いわけですが、そうなるに至った背景を見て行かないと本質的な解決は見いだせないと思います。このスラブ民族への嫌悪感に加えて、EUが冷戦終結後に受け入れてきたイスラム系難民や移民が存在し、西欧と中東欧には反イスラムの感情も存在しています。
冷戦が終わって最初に欧州で起きた内戦は旧ユーゴスラビアの中で起きたユーゴ紛争と言われるものです。1992年のボスニア・ヘルツェゴビナのユーゴからの独立を機に、スラブ系のイスラム教徒、セルビア人、クロアチア人が三つ巴となって血で血を洗う内戦が起きました。これはNATO軍の軍事介入があり、和平合意が実現しましたが、「民族浄化」と言う言葉が生まれた通り、民族間の嫌悪感が虐殺へと発展してしまったものです。「冷戦」という枠組みで、米ソの二大国家が存在したことはとてもよかったとは言い切れませんが、この枠組みが存在したために欧州では民族紛争や内戦に歯止めがかかっていたということは言えるでしょう。
第二次大戦でナチスに徹底抗戦した英国はEUから離脱しましたし、フランスは第二次大戦でドゴールのロンドン亡命政権こそあれど、在仏のヴィシー政権はナチス側に立っていました。今、EUの軸は独仏ですが、極右化する東欧諸国、さらにフランスなどの極右政党の声が欧州議会で強まると、EU全体の政策が右傾化する可能性は捨てきれません。私がなぜこのような危惧を抱くかと言うと、欧州人は外側から自分たちがどう見えているか、という風に自分たちの言動を客観視できていない印象があるのです。一部の知識人をのぞくと、大衆は残念ながら外国への理解も乏しいのです。過去に政府が行ってきた中東やアフリカでの軍事干渉などが、どのような影響を及ぼしているのか、そうした理解が乏しければ、EUの政策をチェックする民意も働かず、政策が健全なものからそれる可能性は高いです。